き り お さ ん の 花 嫁 泥 棒

(1)

 キグリス教会、誓いの間。
 「その誓いのキス、待ったあーーっ!!」
 叫んでキリアは白い布を踏みしめ大手を振ってヴァージンロードをずんずん進んだ。左右に座る参列者達――皆キグリスのお偉方だ――があっけにとられてこっちを見ている。
 「きりおさん!」
 サラが可愛らしい声で叫んで駆け寄ってくる。キリアは両手を広げて待ち構えた。サラがキリアの胸に飛び込んでくる。キリアはサラの純白のウェディングドレス姿を抱きとめた。小柄なサラはキリアの胸の中にすっぽりと収まった。
 (……か、かわいい。)サラを抱きしめながら、キリアは本気で思った。
 (どうしよう。マジ可愛い。キグリスの王子の気持ちもわかる。私だってこのまま……じゃなくて。もし私が男だったら……じゃなくて。……妹にして持ち帰りたいっ)
 サラのウェディングドレス姿と結婚式の独特の雰囲気に呑まれ、キリアはかなり混乱していた。
 (っていうか、この役、なんで私がやってんのよ。本当ならバートでしょ! ああもう勿体ない……。あ、そっか。バート照れてんのよね。可愛いヤツめ)
 多少混乱しつつも、キリアは用意してあったセリフを口にする、
 「迎えに来たぞ、サラ。さあ、おれと一緒に遠くの世界へ行こう!」
 キリアはサラの手を引いてヴァージンロードを出口目指して駆けた。開け放たれている扉からそのまま外へ飛び出す。外の日差しはまぶしかった。
 「こ……このっ、の花嫁ドロボー!! ボクのサラちゃんを返せーー!!」
 遠くでロレーヌ王子が叫んでいるのが聞こえるが、キリアもサラも構わず駆ける。何十メートルか全力疾走したところで突然キリアはばてた。引っ張る者と引っ張られる者が逆転し、キリアは花嫁姿のサラに引っ張られながら何とか走る。目指すは数百メートル先のキグリス国定公園。

(2)

 「向こうがその手でくるなら。こっちにだって考えがあるわよ!」
 キグリス王国ホテル最上階のロイヤルスイートルームでキリアは大声を上げた。ピアン王女サラにあてがわれた部屋だった。部屋の中に足を踏み入れてバートは「げっ、俺たちの部屋より広いじゃん」と呟いた。サラの従者ということになっているバートとリィルは二人で一部屋で、ホテルの隣の木造民宿を紹介されていた。キリアは王宮に仕える父のところに泊まることになっていた。
 キリアとサラはベッドに腰かけている。手触りの良い羽毛入りのベッドカバー。ベッドはダブルサイズで、二人でゆったりと眠れる大きさだ。バートとリィルは木製の簡易椅子に座っている。
 「考えって?」リィルが面白そうに目を輝かせる。
 キリアはフフフと不敵に笑って、
 「サラとうちの王子の結婚式をブチ壊してやるのよ」と宣言した。
 「それに対しては異議ないわよね?」
 サラとリィルはうんうんとうなずいた。バートだけ首を傾げて黙っていたのでキリアは蹴りを入れてやった。
 「で、どうやって?」とリィル。
 「結婚式の最中に騒ぎを起こす」
 「どんな騒ぎ」
 「決まってるじゃない、花嫁泥棒よ」キリアは邪悪な笑みを浮かべた。
 「まあ素敵」サラがうっとりと言う。
 「そうか。じゃあ、ま、がんばれよ」
 リィルはバートの肩をぽんと叩いた。バートは「は?」と我に返ったようにリィルの顔をまじまじと見つめる。
 「アンタが結婚式場に乗り込んでいって捨て台詞吐いてサラをお姫さま抱っこして逃げてきなさい!」
 キリアがびしっとバートを指してやけに具体的な指示を出す。
 「捨て台詞?!」
 「そう。王子の心をガツンと引き裂くようなやつを」
 「……そこまでするんだ。ちょっと王子が可哀想かも」リィルがぽつりとつぶやいた。
 それからキリアとリィルの二人は、キグリス王子にバートとサラのラブラブぶりを見せ付けるための演出を次々と提案していった。結局リィルも乗り気なのだ。あれもやれ、これもやれ、と二人の発言はどんどんエスカレートしていき、バートの顔はどんどん真っ赤に染まっていった。そしてついに爆発した。
 「そんな恥ずかしいことできっかああーー!!」
 バートは叫んで椅子から立ち上がると、床を踏み鳴らしながら部屋を出て行ってしまった。取り残される三人。キリアは少し冷静になって、しまった、調子に乗りすぎた、と思った。好き勝手言われたい放題だったバートの気持ちなんて考えてなかった。
 「バート、そんなに泥棒役が嫌なのかしら……」
 サラが悲しそうに呟く。キリアは慌てて言った。
 「違うわよー。照れてんのよ、アレ」
 「そうそう。恥ずかしいって自覚あったんだ」リィルも言った。
 「じゃあ、主賓も去ったことだし、今夜の作戦会議はここでお開きにしましょうか。続きは明日の早朝、ここで」
 と言ってキリアとリィルはサラに「おやすみ」と手を振ってそれぞれの寝場所へと向かった。そして翌日、結婚式当日。
 「ごめん、逃げられた」
 早朝の作戦会議室(キグリス王国ホテル、ロイヤルスイートルーム)でリィルは両手を合わせて深々と頭を下げていた。
 「俺、これでもめちゃめちゃ早起きたんだけど、バートのベッドは既に空で」
 サイドテーブルにバートが殴り書いた書き置きが残されていただけだったという。
 『あとは勝手にやってくれ』
 「アイツまったくホントに使えんヤツね!」キリアはため息をついた。
 「どうするの、キリア?」
 「あーサラは何も心配しなくていいのよ。結婚式ブチ壊し作戦はちゃんと決行するから」
 キリアはリィルを見て言う。
 「こうなったら最後の手段」
 「あ、ヤな予感」
 とリィルが言い終わるか言い終わらないかのうちに、キリアはリィルをびしっと指さして言った。
 「ちょっと不本意だけど、アンタがバートの代役やんなさい」
 「……うっ」
 リィルは微妙なうろたえ方をした。数秒間固まった後、キリアとサラを交互に見て、
 「ごめん、それはできない……」と呟く。
 「どうしてよ?」
 「どうしてって……言わせるなよ」
 リィルはふいっとそっぽを向く。また何かまずいこと言っちゃったかしら、とキリアは不安になった。これ以上無理強いしてバートみたいにマジギレされても困る。
 「じゃあ……私が泥棒役やろうかしら」キリアはふと思いついて言った。
 「キリアが?!」サラとリィルが驚きの声を上げる。
 「私じゃイヤ?」キリアはサラに尋ねる。
 「ううん」サラはぶんぶんと首を横に振った。「キリアの男装姿って、きっとかっこ良いと思うわー!」
 隣でリィルが吹き出した。

(3)

 キリアはウェディングドレスを着てみたいと夢見たことはなかった。すごく幼い頃には夢見ていたかもしれないが、覚えていない。むしろ、機会があったらかっこ良い男装をやってみたいと思っていた。ワールドアカデミー時代は、何故自分は女なんだろう、男の子になりたいと思っていた。ぶたれたらすぐに殴り返せるような力と勇気が欲しかった。
 キグリス国定公園。キリアとサラは木陰のベンチに腰を下ろしてジュースを飲んでいた。全力疾走したら喉が渇いた。冷たいジュースは渇いた喉を潤してくれる。
 キリアは隣に座るサラを見る。花嫁姿は目立つので早々に普段着に着替えていた。どこにでもいる普通の町の女の子の普段着といった格好で、ぱっと見王女には見えない。少し勿体ないな、と思う。
 (可愛かったなー。サラのウェディングドレス。あやうく私も理性飛びかけたし。リィルがうろたえてた理由もやっとわかった)
 リィルだって男の子なんだし、とキリアは思う。
 (それにしてもバートもバカよねー。こんなときに隣にいないなんて……)
 ……でもまあ良いか、とキリアはすぐに思い直した。バートとサラはいつか「本番」をやってくれるだろうから。お楽しみはそのときまでとっておけば良い。そう思ってキリアはひとりにんまりとした。
 「何笑ってるの?」
 サラに純粋な瞳で尋ねられて、キリアははっとしてゆるんだ顔を引き締める。
 「いやあ……思い出し笑いというか。サラのウェディングドレス姿、ほんっとにすっごく可愛かったなーと思って」
 「本当?! ありがとう!」サラは素直に喜びの声を上げた。
 「キリアの男装も素敵だったわよ」
 「えーホント? 嬉しいなー。自信持っちゃおうかなー」
 「でもキリアって、男装も良いけどウェディングドレス着ても似合うと思うわ」
 「え゛」
 キリアは言葉に詰まった。手をぶんぶんと振る。
 「そんな私、サラみたいに可愛くないし、絶対に似合わないって」
 「何言ってるの、キリア可愛いわよ」
 「やめてよー。可愛いなんて言われたことないしー」言いながらキリアは頬が熱くなっていくのを感じた。
 サラはくすっと笑った。
 「さあ、もうひと走りしましょうか」
 キリアは言って立ち上がった。首都の出口でリィルたちと落ち合い、乗用陸鳥《ヴェクタ》でキグリスを脱出することになっていた。
 「バートちゃんと来てくれるかしら」サラが心配そうに言う。
 「大丈夫よ」とキリアは答えた。「バートだって異国の地で一人で置き去りになんてされたくないでしょ」
 そして二人は街外れのヴェクタ乗り場に向けて駆け出す。
 キグリス首都郊外で、バートとリィルは乗用陸鳥《ヴェクタ》の準備をしていた。ここまで一緒に旅してきたヴェクタの綱を解き、二人でその背に乗り込む。キリアとサラが揃えばすぐにでも走り出せる。
 「で、結局キリアがやってんのか、花嫁泥棒役」とバートは面白そうに笑った。「案外、似合うかもな」
 「最初は俺がやれって言われたんだけど、断った」とリィルは言う。
 「何でだよ」
 「だってバートにどつかれたくなかったから」
 「……」バートは思い切りリィルをどついた。
 「でもさー」殴られた頭を抱えてリィルは言う。「昨日は俺たちちょっと調子に乗りすぎちゃってたけど……」
 リィルは少し真面目な顔になってバートと向き合う。
 「本音としてはどーなん?」
 「は? 何が?」
 「何がって」
 「お待たせっ!」
 リィルの言葉はキリアの大声にかき消された。やけにハイテンションな女性二人が息を弾ませて駆け寄ってくる。
 「よかった、やっぱり来てくれたのね」
 サラが嬉しそうにバートに言う。キリアがでしょ?、と言ってサラに微笑む。
 「俺だけここに残ったって仕方ねーだろ」
 「二人とも早く乗って」とリィルは言った。キリアとサラはヴェクタに乗り込む。四人を乗せて、ヴェクタは風を切って走り出した。
 「あーあ。やっぱりサラ、ドレス脱いじゃったんだ。俺も見たかったのにー」サラを見て、リィルは残念そうな声を上げる。
 「バートも見たかったよな?」
 「俺にフるなよ」
 「勿体なかったわねー。すっごく可愛かったわよー」キリアがちょっと意地悪に言う。
 「うー。まあいいや。次の機会に見るから、ウェディングドレス」
 「どっちの?」自分とキリアを交互に指さして、サラが大真面目に尋ねる。
 「ははは。どっちが早いかなー」
 「ぜ、絶対サラよサラ! っていうか私、ドレスに興味ないし……。結婚にも」
 「あたしも当分着ないと思うわ。ウェディングドレス」
 「「えー!」」キリアとリィルは声を揃えた。サラは微笑んで続ける。
 「だってこのままで十分楽しいし、幸せだもの」
 「まあ、そうだよな」バートはぽつりと呟いた。リィルはうなずき、キリアは大きく伸びをして空を見上げた。
 「そうね。先のことなんて、まだ、いいか」
 青い空はどこまでも高く広い。目の前に広がるのは、見渡す限りの緑の海。乗用陸鳥《ヴェクタ》は風を切って快調に草原を飛ばしている。四人が思いを馳せるのは、先の見えない、それぞれの未来。
 四人は今ピアン王国で起こっていることを知らない。
 こうして、花嫁泥棒一味と花嫁の逃亡生活が幕を開ける。