父 の 望 み 、母 の 願 い

(4)

 三人は売店でパンと飲み物を買い、公園のベンチに座った。バートとキリアでサラを挟んで並んで腰掛ける。キリアは包みを開け、パンを取り出して一口かじった。三人はしばらく黙々と食事を続けた。
 サラに聞きたいこと、話したいことはたくさんあった。しかし、何からどうやって切り出したら良いものか。
 「バート。キリア」
 食事の手を止めて、しっかりとした口調でサラが二人の名を呼んだ。
 「なあに」「何だ」
 キリアとバートの声が重なる。
 「あたしに聞きたいこと、たくさんあるでしょう」
 「まあな」
 バートが言い、キリアも黙ってうなずいた。
 「あたしも話さなきゃって思うの。でも……」
 サラはそこで言葉を止めてうつむいた。
 「でも……」
 「良いのよ、無理して話さなくたって」
 キリアは優しく言った。
 「話したくなったら、少しずつ話してくれれば良いから」
 「ありがとう……。ごめんなさい」
 「俺たちのこと、話すよ」
 バートは言って、カップのコーヒーを飲み干した。
 「あの後、俺とキリアは乗用陸鳥《ヴェクタ》でリンツまで帰ってきたんだ。リンツ《ここ》に着いたのは夜だったな。母親やリィルのかーちゃんには手紙で事情を知らせておいて。で、次の日にピアン王に報告する……と見せかけて、早朝、俺とキリアでこっそり街を抜け出して、元ピアン首都、敵の本拠地に向かったんだ」
 「え……」
 サラは驚いたようにバートを見た。
 「もちろん、貴女とリィルを助け出すためよ」
 とキリアは続ける。
 「そこで、私たちが見たのは、一面の黒い砂漠。そして、私たちも、うっかり砂漠に呑み込まれちゃったの」
 「キリアたちも……?! 良く、無事で……」
 「ホントよね。私ももうダメかと思ったもん。でも、何とか砂漠からは脱出できたの。バートのおかげでね」
 「正確には、フィル兄の……いや、エニィルさんの剣のおかげかな」とバート。
 「ねえ」
 キリアはサラに問いかけてみた。
 「サラとリィルも黒い砂漠に呑み込まれてたんでしょ? そこから脱出できたのは……。サラが、『闇』を切り裂いて? あの短剣で?」
 「……え……?」
 サラは驚いたようにキリアを見た。
 「すごいわ……。どうして、誰にも話していないのに、そこまでわかるの?」
 「つまり、私とバートもサラたちと同じような目に遭ってたってことよ」
 とキリアは言う。
 「バートはたまたまエニィルさんが作った剣を持っていて、それで闇を切り裂いて脱出できたの」
 言いながらつくづく運が良かったわねとキリアはそっと思った。
 「エニィルさんの剣は、エニィルさんが水の精霊を物質化させたものだって……。サラが持ってた短剣も、きっとそうなのよね」
 キリアはサラを見つめた。
 「……もしかして、リィル、が?」
 キリアを見つめ返して、サラはゆっくりとうなずいた。
 「やっぱりね」キリアは言った。
 「彼、エニィルさんの息子だし、精霊扱うの得意だし。リィルならそのくらいできると思ってた」
 キリアは自分の右の掌《てのひら》を見つめ、意識を集中させた。――物質の、形をイメージして……
 「……ほら」
 キリアは右の掌《てのひら》に現れた、銀色の小さなナイフをバートとサラに見せた。
 「な、キリア、今の?」
 バートが驚く。
 「私にもできちゃった」
 キリアは笑みを浮かべた。
 「精霊の、物質化。何度か練習してみたの。でもダメね。エニィルさんはもちろんのこと、リィルにだって敵わない」
 「?」
 「私が物質化したモノって、すぐに消えちゃうの。長く保っても半日。このナイフだって多分《なまくら》よ。鋭さ、ってのが出せないのよね……。鳥とか生き物っぽいもの『生み出す』ほうがよっぽどラクね」
 「……キリアってすごい」
 心底感心したようにサラが言った。
 「あたし、その能力って、ガルディアとエニィルさん一族の専売特許だと思ってたわ」
 「ああ……。そういや父親とかアビエスとかも、そんなふうに生み出した『剣』で戦ってたっけ」
 思い出してバートは言った。
 「……ガルディアの赤い翼だって、多分……」
 と、キリアは呟く。
 「?」
 バートはキリアを見る。キリアは首をふった。
 「何でもない」

 *

 サラとキリアに未だ言っていなかったことがある。昨夜、キリアとサラと別れ、バートとエンリッジは別の部屋で眠ることになった。灯りの消えた暗闇の部屋の中で目を閉じていると、「起きてるか?」とエンリッジの声が聞こえてきた。バートは目を閉じたまま「ああ」と答える。
 「ちょっと話、良いかな。あんまり良い話じゃないんだが」
 「話?」
 バートの心が嫌な感じに騒《ざわ》めいた。
 「王女の前では言えなかったんだ」
 と、エンリッジは言う。
 「でも、バートは知っておくべきだと思う。ピアン王も兵士たちから報告を受けて、既に知っている」
 キリアと王女には時機を見てバートの口から言ってやってくれないかな、と言って、エンリッジは語り始めた。
 「例の黒い砂漠――”ケイオス”のことなんだが」
 「ああ」
 「”ケイオス”はガルディア軍とピアン首都を呑み込んで……、伝説によると、全てを呑み込んで成長する”混沌”、二千年前は、大陸のほとんど全てを呑み込んだって」
 「みたいだな。俺もリスティルさんから聞いた」
 「北上してる、らしいんだ」
 と、エンリッジは言った。
 「ケイオスが?」バートは聞き返す。
 「ああ」エンリッジはうなずいた。
 「黒い砂漠の北端が。何しろ一面の黒い砂漠だから、南や東の端はどうなっているのかわからない。ケイオスが拡大しているのか、ケイオス自体が北上しているのか……。ただひとつ、確実に言えることは、」
 エンリッジは小さく息をついてから言った。
 「このままだと、ケイオスは数日後にここ、リンツに到達する」
 「な……」
 バートは言葉を失った。
 「到達したらどうなるか……。おそらく、リンツの街も呑み込まれるんだろうな。ピアン首都が跡形もなく消えてしまったように……」
 エンリッジはそこまで言って、ため息をついた。
 「……良い話じゃないだろ。悪いな、こんな話聞かせちまって」
 「いや、」
 バートは目を開けて、暗闇の中エンリッジを見た。
 「だったら、何とか、しなきゃな。……タイムリミットは数日か」
 「え?」
 エンリッジが聞き返してくる。
 「俺は、もう一度ケイオスに行ってみるつもりだったんだ」
 バートはエンリッジに言った。自分にも言い聞かせるように。
 ケイオスの中で聞いた、父親――クラリスの声が気になっていた。
 「何となく、このままじゃあすっきりしないんだよな……」
 「バート、何か言った?」
 サラの声。バートははっと顔を上げてサラを見た。バートとサラとキリアは三人でピアン王の待つホテルへ向かって歩いているところだった。
 「そっか、」とバートは呟いた。
 「ピアン王に会うってことはどうせ知るってことだから、先に言っといたほうが良いのか? それともわざわざここで言う必要もない? でもエンリッジさんは時機を見て俺の口からって」
 「バート、どうしちゃったの?」
 キリアが心配そうにバートの顔をのぞきこんでくる。バートはぴたりと足を止めた。
 「?」
 「王に会う前に、さ。二人に話しておきたいことがあるんだけど」
 「……待って」
 サラがバートの言葉をさえぎった。
 「そのことなんだけど……ちょっと待って、欲しいの……」
 「サラ……?」
 サラは何か言いたそうにバートを見上げた。
 「……キリアさん?」
 そのとき、澄んだ男性の声が三人の会話に割り込んできた。

(5)

 「キリアさん?」
 済んだ男性の声にバートは振り返った。長い髪に黒い外衣《ローブ》。肩から布の鞄を提げている……
 「リスティル!」
 キリアが青年の名を叫んだ。
 「どうしてここに……。あ、もしかして、リスティルもピアン王に会いに?」
 リスティルはええ、とうなずいた。そしてサラを見て柔らかく微笑んだ。
 「お久しぶりです、サラ王女。もう出歩いても大丈夫なのですね。良かった」
 「ありがとうございます」
 つられたようにサラも微笑んだ。
 「でも……」
 と言って、サラはわずかに表情を曇らせる。
 「あたしは、大丈夫なんです。でも……リィル、が、まだ……」
 絞り出すように、苦しそうにリィルの名を口にするサラ。バートの心がちくりと痛む。
 「……あたしの所為で」
 と言って、サラはうつむいた。ううん、とキリアは首を振ってサラの肩にそっと手を置く。
 「リスティルさんは、どうしてここに?」
 バートは尋ねてみた。
 「解読、できたんです」
 と、リスティル。
 「わかったんです。ケイオスを止める方法が」
 「本当なの?!」キリアは喜びの声を上げた。
 「ちょうど良かった。私たちもピアン王に会いに行くところだったのよ。じゃあリスティルも一緒に……」
 「待ってキリア」
 サラがキリアを止めた。
 「え?」
 「わがまま……言って良い?」
 サラはキリアを見て少し言いづらそうに口を開いた。
 「お父様たちに会うの、もう少し、先延ばしにしたいの。お父様に会ったら、多分、色々聞かれると思うし、聞かれたら答えなきゃって思うし、だから、もう少し時間が欲しいの。心の整理をつけるための時間が」
 「……そっか」
 キリアが言うと、バートとリスティルもうなずいた。

 *

 その図書館はリンツの街外れにあった。二階建ての、決して大きいとは言えない図書館だった。ここに置いてある本は専門的過ぎて、ここを訪れる人は限られている。リスティルは特別にここの客間を借りて寝泊まりさせてもらっていた。四人はそこで話をすることにした。
 小さなテーブルに、向かい合うように二人がけのソファが二つ。かたわらに小さなベッド。テーブルの上にはハードカバーの本が数冊広げられていた。リスティルはテーブルの上の本を片付けながらバートとキリアとサラにソファに座るよう勧めた。
 「結論から言いましょう」
 と、リスティルは語り始めた。
 「ケイオスを止めるには、ケイオスを制御している存在――核《コア》とでも言いましょうか。それを破壊すればケイオスは止まります。おそらく、二千年前はそれで止まったんです」
 「核《コア》?」
 バートは聞き返した。リスティルはええ、と頷いた。
 「”ケイオス”は、あれでひとつの系《システム》なんです。生命体、と言ってしまって良いかもしれません。それを制御しているのが核《コア》。そうですね……、私たちの身体は、私たちの意思で動くでしょう。その『意思』にあたるものが核《コア》だと思うんです」
 「意思……」
 キリアはつぶやいてバートを見た。
 「キリア?」
 「ねえ。もしかして……」
 キリアは言いにくそうに口を開いた。
 「私たちがケイオスの中で会ったあの炎。クラリスさんの声で喋ってたけど、あれが核《コア》、なんじゃない?」
 「父親が……核《コア》?」
 バートの問いに、キリアはうなずいた。
 「あの炎の言ってたこと覚えてる? クラリスさんは、ケイオスに呑み込まれたって言ってた。そして、『この大陸を、この惑星《ほし》を、全てを手に入れる』って。それが『クラリスさんの望み』だって……」
 バートは無言でうなずき、キリアは続けた。
 「それがきっと『ケイオスの意思』なのよ。この大陸を、全てを呑み込んで手に入れるのがクラリスさんの意思、すなわちケイオスの意思、なのよ……」
 「ケイオスの……父親の意思……」
 バートはつぶやいた。
 「でもなんで……。もしそうだとしたら、なんで父親はパファック大陸の全てを手に入れたがってるんだ? それがマジでわかんねえ……。そんなことして、一体何になるってんだよ!」
 「それは私にもわからない」とキリアは言う。
 「でも、もし、クラリスさんの意思がパファック大陸を呑み込もうとしているのなら、阻止しなくちゃ。例えバートのお父さんの意思だとしても。だって、このままにしておくわけにはいかないもん……」
 「それは、もちろん」
 バートは大きくうなずいた。
 「あのいかれた父親は、俺が責任持って止めてやる。核《あれ》を破壊すれば良いんだろ?」
 バートはエンリッジから聞いた話を三人に語った。ケイオスが北上しているらしいこと、このままだと数日後にはリンツに到着するらしいこと……
 「どうせもう一度ケイオスに行って、父親に会ってくるつもりだったんだ。一刻も早く……明日の朝にでも、俺はケイオスに行ってくる。そして、父親を倒す」
 「バート……」
 「首都が消えて、ガルディアのやつらが消えて、最後にケイオスが消えて、俺たちが残る。長い戦いだったけれど……これで全てが、戦いも、『四大精霊の伝説』も、終わるんだ」
 「――私も”ケイオス”に行く」
 「な?!」
 キリアのきっぱりとした声に、バートは驚いてキリアを見た。
 「なんでお前まで」
 「なんで驚くのよ。まさかひとりで行く気だったの?」とキリア。
 「頭数は多いほうが良いでしょ。ずっと一緒に旅して戦ってきたじゃない。最後まで付き合うわよ。……ううん」
 キリアは言葉を切って続けた。
 「付き合わせて欲しいの。お願い」
 「…………」
 「……置いてったら本気で怒るからね」
 キリアは低くつぶやいた。バートはふうと息をついて、隣に座るサラを見やった。サラは先ほどからうつむいて黙り込んでいる。
 「サラ王女……大丈夫ですか?」
 リスティルが尋ねた。サラはゆっくりと顔を上げ、力なく「はい」と答えた。

(6)

 午後。バートが家に戻ると、母親のユーリアが買いこんできた食料をテーブルの上に並べているところだった。買い出しから帰ってきたところなの、とユーリアは言った。
 「あれ? 母親ひとりなのか? フィル兄やルトさんたちは?」
 「私が帰ってきたときにはもういなかったわ。そこにルトの書き置きがあるでしょう」
 バートはテーブルの端に置いてあった紙片を手に取った。
 「ルトさんたち、リィルのとこ行ってるのか」
 ユーリアはうなずいて、「リィル君の様子はどうなの?」と尋ねてきた。
 「まだ眠ったままなんだ、あいつ」
 とバートは答えた。
 「あいつ昔っから寝起き悪かったからなあ……」
 「そうなの。それは心配ね……」
 ユーリアは表情を曇らせる。
 「サラちゃんのほうは?」
 「ああ、出歩けるくらいにはなったけど、出歩いてたらまた具合悪くなったみたいで……。今は王居の自分の部屋で休んでる」
 あの後、バートとキリアとサラとリスティルは仮の王居に向かった。ケイオスを止める方法についてピアン王に報告するためだった。しかし、王居に到着したとき、サラは今にも倒れそうなほど具合が悪くなっていた。サラは結局、王との話し合いの席には同席できなかった。
 「でも、少しは元気になったのね?」とユーリア。
 「まあ、昨日と比べると、だいぶ。ちょっとずつだけど喋ってくれるようになったし。相変わらず肝心なことは喋ってくれないけどな……」
 バートたちと離れている間、サラとリィルの身に何が起こったのか――。気にならないといえば嘘になる。しかし、サラが喋りたくないことを無理やり聞き出す気にはなれなかった。サラとリィルが生きて『ここ』にいる、とりあえずは、それで十分だった。
 「まあ、この戦いが終わってからゆっくり聞き出せば良いしな。それにリィルならすぐ喋ってくれそうだし。起きてさえくれれば」
 「……『戦い』?」
 ユーリアは真っ直ぐにバートを見た。息子の次の言葉をうながすように。
 バートは言葉を続けた。
 「俺たち、またケイオス、あの黒い砂漠に行くことになったんだ。ケイオスを止めるために」
 「ケイオスを止める方法がわかったのね?」
 「ああ。それに、早くケイオスを止めないとヤバいんだ。このままだと、数日後にはケイオスはリンツに到達するって」
 バートはリスティルや王と話し合った内容をを母親に語った。ケイオスの核《コア》のこと。それを破壊すればケイオスは止まること。バートとキリアがケイオスの内部で見た炎、それがおそらく核《コア》であること……
 「それで、明日、行くのね。キリアちゃんと二人で。大丈夫なの? 二人だけで」
 「だってなあ。人数が増えたからって、今んとこ切り札っていったら『これ』だけだもんなあ」
 バートは腰に提げていた短剣を鞘から抜いた。刃が氷のような輝きを放つ。サラがケイオスから戻ったとき握りしめていた短剣だった。リィルが水の精霊を物質化させて生み出した剣。
 「本当なら一人で行きたかったんだ」
 とバートはユーリアに言った。
 「でもなあ、キリアが真剣だったから断れなくて。これで置いてったら帰ってきたときキリアに半殺しにされそうだったから、仕方なく。……キリアには色々借りちゃってるしな」
 「でも、一人より二人のほうが心強いでしょ」
 ユーリアの言葉を、バートは首を振って否定した。
 「キリア一人だって、随分な重荷なんだ」
 「生意気」ユーリアはぴしゃりと言い放った。
 「いつからアンタはキリアちゃんのことを重荷扱いできるほど偉くなったの」
 「違う、そういうんじゃなくて」バートは慌てた。
 「なんつったらいーんだろ。つまり、さ。俺、父親と戦うわけだろ。負ける気はしねーけど、一度も勝ったことがない相手なんだ。父親だし、まあ、敵だって割り切ってるけどさ、……そういう場に、キリアに居合わせて欲しくねーんだよ……」
 「ふーん……。なるほどね」
 ユーリアはゆっくりとうなずいた。
 「そういうことなら、なんとなくわかるわ」
 それからユーリアは息子を励ますように笑いかけた。
 「でも、勝つんでしょ。相手がクラリスだとしても」
 「ああ。もちろん」
 バートは迷うことなく言い切った。
 「勝ってね、お願いだから」
 息子の目を見つめて、ユーリアは言った。
 「あの人を止めてやって。息子のあんたの手で、引導を渡してやって」
 バートは力強くうなずいた。心配するなって、と言って笑う。

 *

 「どうしても理解できねーことがあるんだ」
 とバートは言った。
 「なんで父親は突然、『この大陸を、この惑星《ほし》を、全てを手に入れる』とか言い出したんだろ。父親がそんな意思を持たなけりゃあ、俺は父親を止めるために戦わなくたって……。本当に『父親の』意思なのか? 父親が”ケイオス”に取り込まれて、頭おかしくなったとしか思えねーんだよな」
 「なるほど」
 ユーリアは息子の言葉に感心した。
 「それは新説だわ。私もその説に賛成したいところだけど……」
 ユーリアは言葉を切って、次の言葉を言いよどんだ。
 「けど?」
 「……もし、あの人がそんな大それた、あんたにとっちゃあ馬鹿げた意思を持っているとしたら、その理由ってのも、何となくわかるの」
 「え?」
 バートは驚いて母親の顔を見つめた。
 「あの人はね、……理屈でもなく、感情でもなく、もっと根本的な、本能の部分で『生きて』いるようなところが、あるから」
 「根本的な……本能?」バートは首をかしげた。
 「それが父親の馬鹿げた『意思』……ってことなのかよ? まさか」
 「…………」
 ユーリアは口を開きかけて、口を閉ざした。今は息子には言わないほうが良いと思った。今ここで、それを息子に背負わせるのは、あまりに重すぎるから。
 「いつか、あんたにもわかるわよ」
 とだけユーリアは言った。
 それを知ったとき、息子は――。おそらく怒り狂うだろう。理解できない、と言って。
 (可哀想ね……。クラリス)
 せっかくだから、息子に伝言でも頼もうかと思った。しかし、息子の口を通してあの人に伝えなくてはならないことなんて何ひとつないことに気付く。
 (今更「愛してる」なんて言えるもんですか)
 あの人は敵。ユーリアは自分に言い聞かせる。パファック大陸全ての人間を脅かす敵。あの人の意思はケイオスの意思。
 「勝ってね、お願いだから」とユーリアはバートに言った。
 「あの人を止めてやって。息子のあんたの手で、引導を渡してやって」、と。
 さっきの「お願い」は、自分のためなの、とユーリアは思った。どうしても声に出して、息子に言っておきたかったのだ。引導を渡されたかったのは、自分のほう……。

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