手紙を書こう、とキリアは思った。
そういえばリンツのユーリアたちにはリンツを旅立ってから一度も連絡を入れていなかった。もしかしたらキリアたちが知らないところでエニィルが連絡を入れていたのかもしれないが。
西へ向かって走る乗用陸鳥《ヴェクタ》の上で、キリアはペンを走らせる。リンツを出てからの自分たちの旅を思い出しながら、言葉にして綴《つづ》っていく。
(途中までは、順調だったのよね)
大賢者の塔で、キリアが”風雅《フウガ》”を手に入れるまでは。しかし、コリンズでは”流水《ルスイ》”を手に入れた後エニィルが姿を消し、そして、ツバル洞窟では……
(この旅……、終わってみれば、ずいぶん多くのものを失った……。私たちの旅って、一体、何だったの……?)
ツバル洞窟を後にしてから何度も自問した問い。キリアはため息をつく。しかし、何度ため息をついたって、何も変わらないことは十分わかっている。
「そうか、おじいちゃんとリスティルにも知らせたほうが良いよね……?」
キリアはぽつりとつぶやいた。
「大賢者の塔に寄ってくのか?」
バートが尋ねてくる。二人しか乗っていないヴェクタは、必要以上に大きく感じられる。
「ううん」キリアは首を振った。
「そんな時間はないと思う。バートだって一刻も早くリンツに戻りたいでしょ? だから、もう一通書いて、キグリス首都から伝書鳥で飛ばす」
「今書いてるヤツ送って、母親たちにはリンツに着いてから直接話せばいーんじゃねーか?」
「でも、早いほうが良いかなって。それに……」
「それに?」
キリアは力なく笑う。
「だって直接話しづらいから、こうやって書いてるんじゃない」
クラリスのこと、エニィルのこと、リィルのこと、サラのこと……。それを、ユーリアと、リィルの家族と、ピアン王に伝えなくてはならない。もちろん、自分の口からも報告するつもりでいる。この手紙は、その予行練習なのだ。それに、リンツに着いて、何も知らないユーリアたちに再会するのはこっちがつらすぎる。再会したとき、ユーリアたちが事情をわかっていてくれたほうが、ずっと良い。
「全部、こっちの勝手な事情なんだけどね……」
キリアは呟いた。
「キリア……」
バートはキリアの肩に手を置いた。励ますように。
「こんなことになっちまったけど……。あいつらは、リィルもサラも、絶対大丈夫だって、俺は信じてる。ガルディアは四大精霊全てを手に入れて、それで何が起こるかはわかんねーけど……。まだ、完全な手遅れじゃねーって思ってる。まだ、間に合う。今からでも、取り返しはつくって……」
自分にも言い聞かせるように、力をこめてバートは言った。
「うん、そうね。……本当にその通りよね」
キリアも言った。
*
バートの母ユーリアと、リィルの姉エルザと兄フィル、それにリィルの母ルトレインの四人は、リンツの仮設住宅で本当の家族のように暮らしていた。実際、バートの一家とリィルの一家は昔から家族ぐるみの付き合いをしていた。ユーリアとルトは学生《ワールドアカデミー》時代は何でも話せる無二の親友同士だった。
大陸各地を旅していたルトは、五日ほど前にリンツにたどり着き、ユーリアと長女と長男と再会したのだという。すらりと背が高く、腰に剣を挿した、ハンサムな女性だった。
バートとキリアは、夜遅くに四人が暮らす仮設住宅に辿り着いた。
「長旅お疲れさま」
帰ってきたバートとキリアに、ユーリアはあたたかい笑顔を向けた。
「事情は大体わかってるから、今日のところはゆっくり休んで、色々考えたり動いたりするのは明日にしましょう、ね?」
「……はい」
キリアはうなずいてエルザに勧められるままテーブルの席に着いた。フィルが温かいミルクティーを入れて持ってきてくれる。キリアはカップを受け取って口をつけた。
「フィルさん……私、」
カップを見つめてキリアは呟く。
「積もる話は明日にしよう、な?」
フィルは穏やかに言った。
「ここ、ベッド四つしかないからさ、とりあえず近くの宿屋の二人部屋を予約しといた。大きいベッドで、広い露天風呂もあるし、疲れとれるよ。今夜は何も考えなくて良いから、とりあえず、眠ってきなよ」
「それ飲んだら行きましょう、キリアちゃん」
ユーリアはキリアに近付き、それからバートに声をかけた。
「私、今夜はキリアちゃんと温泉宿に泊まるから。バートは私のベッド使って良いわよ」
「……母親、」
「待って」
ユーリアは何か言いたげなバートの言葉を途中でさえぎった。
「今夜はアンタの戯れ言に付き合うつもりはないから。愚痴ならルトやエルザちゃんに聞いてもらいなさい」
「っ、愚痴でも戯れ言でもねーって! 決めつけるなよ!」
「お、結構元気じゃない。良し良し」
ユーリアは満足そうに微笑んだ。ユーリアさんは強いなとキリアは思う。
*
キリアはユーリアと熱い風呂に浸かり、寝巻きに着替えて、ベッドに入った。全身がぐったりと疲れ果てていることに気が付いた。久しぶりのやわらかいベッド。今夜はぐっすりと眠れるかもしれない。
キリアがベッドに入ったのを確認してから、ユーリアは灯りを消して自分もベッドに入った。
「ウチのバカ息子が迷惑かけたんじゃない?」
と、ユーリアが話しかけてくる。
「とんでもない、逆です」とキリアは言った。
「バートには色々助けてもらって、逆に私がみんなにいっぱい迷惑かけちゃって、私が一番年上なのに……。私がもっとしっかりしていれば……」
「貴女は十分しっかりしてるわよ」とユーリア。
「でも……」とキリアは言う。
「結局、こんなことに……。エニィルさんは行方不明になっちゃったし、リィルとサラはガルディアに……」
「エニィルのことは良いのよ。多分、エニィルが姿を消したのは、……エニィルの意思、だったんでしょ」
「……わかりません」
「リィル君とサラちゃんのことはねえ、仕方なかったのよ。私があの場にいたって何も手出しできなかったわよ。敵さんのほうが一枚上手だった、それだけ。貴女が自分を責める必要はないわ」
「でも……」
「あの人は、相変わらずだった?」
何気なくユーリアが問いかけてくる。一瞬、誰のことだろうと悩んでからキリアは「はい」と答えた。
「バートは、あの人に勝てると思う?」
「……わかりません。でも、ユーリアさんは、クラリスさんとバートには戦って欲しくないのでは……」
「いいえ」ユーリアは穏やかに言った。
「あの人はもう敵だから。二人が戦うのは仕方がないの。そしてどうせ戦うのなら、やっぱりバートに勝って欲しい。バートに、父親を超えて欲しいって思ってる」
「ユーリアさん……」
キリアは悲しくなった。
「でもユーリアさんは今でもクラリスさんのこと……」
「それにね、」とユーリアは言う。
「あの人はバートを殺さない。殺せないの、絶対にね。それだけでもバートのほうが有利でしょ? 安心した?」
「それは、息子だから、ですか?」
「まあね。そしてあの人は、いざとなったらためらいなく私を殺すことができる」
「……どうして、そんなこと」
「あの人にとっての私は、バートの母親、それだけだから。あの人と私の間には、何の繋がりもないから」
「…………」
キリアの胸が痛んだ。とっさに言葉が出てこない。
「そんなこと……、ユーリアさんが決めつけなくて良いと思います。クラリスさんがユーリアさんのこと、どう思ってるかなんて……」
「ごめん、つまんない話しちゃったわね、一方的に」
と言って、ユーリアは静かに笑った。
「疲れてるのにね、ごめんね。さあ、もう寝ましょう」
(2)
真夜中。バートはルトとエルザとフィルが眠りについたあと、仮設住宅を抜け出し、人気のない大通りをあてもなく歩いていた。あたりはしんと静まり返っていた。今夜は空気が澄んでいて、星がきれいだった。
後ろから小走りに駆け寄ってくる足音に気が付いてバートは振り返った。
「フィル兄……」
バートは呟く。
「バート君、どこ行くんだ、こんな真夜中に」
追いついて軽く息を切らせながらフィルは言った。
「別に。夜の散歩」
「散歩なら付き合う。愚痴でもなんでも聞いてやる。今夜くらいは本当の兄貴だと思ってさ、頼ってくれたら嬉しいよ、俺も」
「……兄ちゃん」
バートは呟いた。二人は並んで暗い夜道を歩き出す。前にもこんなことがあったなとフィルは密かに思い出していたが口には出さなかった。
「兄ちゃん、俺さ……」
と、バートは切り出した。
「ん?」
「ピラキア山で、”炎《ホノオ》”っつー大精霊の力を手に入れたんだ」
「うんうん」
「すっごい力だった。尽きることのない炎のエネルギー。制御できないくらいの恐ろしい力……」
「へえ……」
「でさ、俺一度、父親に負けただろ」
「ああ……うん」
「で、”炎《ホノオ》”の力を手に入れて思ったんだ。この力があれば、父親に勝てる、って……」
「……そうか」
「もう一度父親に会って剣交えるの、楽しみにしてたんだ。今度こそ絶対倒してやる、ってさ」
「うん」
「でも……父親には会ったけど、勝てなかった。剣を交えることすら、させてくれなかったんだぜ、父親は……」
「……うん」
「で、あっさり”炎《ホノオ》”の力は父親に奪われた。……要するに甘かったんだな、俺。”炎《ホノオ》”の力とかそういうんじゃなくて、もっともっと強くならねーとダメだ、アイツには勝てないって、俺は思った」
「…………」
「以上、愚痴。……なんでこんなことスラスラ言えたんだろ、驚いてる。……フィル兄だからかな」
「……ありがとな」フィルは言った。
「スッキリしたか?」
「うん」
バートは素直にうなずいた。
「じゃ、帰ろう。帰って寝よう。疲れてるだろ?」
「うん」
二人はいったん立ち止まってから、向きを変えて、今まで歩いてきた道を引き返し始めた。
「……エニィルさんと、リィルのことは……」
バートはぽつりと呟いた。
「俺が謝ったところで、何にも変わらないけどさ……」
「良いんだ、バート君はそんなこと言わなくたって、考えなくたって」
フィルは言って空を見上げる。バートもつられて空を見上げた。星々が優しく見下ろしていた。
*
翌日、早朝。
キリアはユーリアの深い眠りを確認して、そっとベッドを抜け出す。サイドテーブルのメモ用紙に書き置きを残す。
バートはフィルたちを起こさないようにそっと扉を開けて外に出る。フィル兄なら許してくれるだろうから、フィル兄の剣をこっそり持ち出して。
二人は乗用陸鳥《ヴェクタ》乗り場で落ち合った。キグリスからリンツに向かう道中で、決めていたことだった。二人が別々の場所で眠ることになるかもしれないということも想定済みだった。
ピアン王にサラのことを報告する。きっとピアン王は軍隊を動かすだろう。敵に捕らわれたサラ王女を奪回するために。それに、そもそもピアン国民が黙っていないだろう。
しかし、ガルディアの力は得体が知れない。ましてや敵《ガルディア》は四大精霊の力も手に入れている。迂闊に大軍隊を動かしてガルディアに接触すれば、こちらが大きな犠牲を払うことになりかねない。
せめて、四大精霊の力がどういうものなのか見極めたい。そのためにバートとキリアは二人だけでガルディアの本拠地に乗り込むつもりでいる。もちろん、機会があればリィルとサラも助け出す。
「覚悟は、できてるな?」
バートはキリアに確認する。
「とっくの昔にね」
キリアはバートに答える。
「じゃあ」
「行きましょう」
バートとキリアはいつもの四人乗りの乗用陸鳥《ヴェクタ》に乗って南へ駆け出す。