バート、リィル、キリア、サラ、エニィルの五人は、ピアンとキグリスの国境、ピラキア山の『大精霊”炎《ホノオ》”の眠る地』に来ていた。切り立った高い崖の岩肌に、金属製の古びた『扉』がはめ込まれている。バートが取っ手を握って手前に引くと、扉はあっさりと動いた。しかし、この扉は、キリアとリィルとサラには動かせなかった扉だった。バートだけが開けられる扉なのだ。
バートは手を離して振り返った。視線の先――キリア、リィル、サラの少し前には、黒いスーツを着た男性――リィルの父エニィルが立っている。
「すごいなあ」
エニィルは穏やかな調子で呟いた。
「そうか? 別に俺、大したことやってねーけど……」
バートは複雑な表情になって首を傾げる。
「じゃあ入ろうか、バート君」
エニィルはバートに声をかけた。振り返って、「君達はどうする?」と、キリアたち三人にも問いかけてくる。
「もちろん入ります」
「私も」
サラに被せるようにキリアの声が重なった。思わず二人で顔を見合わせて、軽くうなずきあう。
「リィルは?」
キリアはリィルに尋ねてみた。以前ここに来たとき、彼は扉の中に入ることを躊躇し、結局入らなかったのだ。
「俺は……」
リィルが言いかけたとき、エニィルが掲げた右手の指をぱちん、と鳴らした。その指の先の虚空が青く輝き始め、集まった光が次第に何かを形作る。そして、それは一羽の青い小鳥となった。その「不意打ち」には、キリアはびっくりして息を呑んで見守るしかなかった。青い小鳥は羽ばたいてエニィルの手を離れ、リィルの肩に下り立った。
「これで大丈夫」エニィルは息子に微笑んだ。
「また置いてきぼりは嫌だろう?」
「すっごー……い……。手品みたい……!」
サラが感動の呟きを漏らした。
「でも、本当に大丈夫なの、これで……」
キリアはリィルの肩の青い小鳥にそっと手を伸ばした。青い小鳥はひんやりとした空気をまとっている。触れたら飛び立ってしまいそうで、それ以上は近づけない。
「父さんが言うんなら、大丈夫だよ」
リィルは自信を持って答えた。
バートを先頭に、エニィル、サラ、キリア、リィルの順で扉の中に入り、通路を進んでいった。先頭のバートがランプを掲げて歩いた。前のときと同じで、中は凄い熱気だった。だんだん汗が吹き出てくる。
「リィル、大丈夫か?」
先頭のバートが後ろに向けて問いかけた。
「なんとか」リィルは短く答えた。
しばらく進むと、通路は行き止まりになっていた。さっきと同じような金属製の扉に行く手を阻まれている。バートは手を伸ばしてその扉を開けた。やはりあっさりと扉は開いた。
途端に通路がまぶしい光に照らし出された。扉の向こうは明るかった。
そこは、四方を石の壁に囲まれた「部屋」だった。高い石の壁にはぎっしりと「文字」が掘り込まれていた。古代語に似ているようだったが、キリアには解読できない。高い天井から光が降り注いでいた。
そして、部屋の中央には、この世のものとは思えない、奇妙な物体《モノ》が、あった。粘土で適当に作った像に、何本もの管を突き刺し、いくつもの石を埋め込んだような。それは薄赤く輝き、凄まじい熱を発していた。
「エニィルさん」キリアは口を開いた。
「これが、大精霊”炎《ホノオ》”なんですね?」
「そうだよ」
エニィルは答えて、周囲の壁を見渡した。刻まれた文字を目で追っているようだった。
「読めるんですか?」キリアは尋ねた。
「うん」エニィルはうなずいた。
「これは、『超古代語』だね」
「超、古代語……?」
キリアは聞き慣れない言葉を繰り返した。
「……『超古代』って時代が、あったんですね。『古代』より、さらに昔に……?」
「そうだよ」と、エニィルはうなずく。
「じゃあ、これは……」
キリアは奇妙な物体《モノ》――大精霊”炎《ホノオ》”に目を移した。
「超古代のもの、なんですか?」
「そう。四大精霊の伝説の、二千年よりも遥か昔の、遺産……」
「遺産……」
キリアはエニィルの言葉をもう一度呟いてみた。エニィルさんは本当に何でも知っているんだな、と思った。
「じゃあ、バート君。良いね?」
エニィルに言われて、バートは緊張した面持ちでうなずいた。キリアもエニィルから話は聞いていた。バートが扉を開けてここに入ったのは、大精霊”炎《ホノオ》”の力を、『鍵』である剣に『宿す』ためなのだ。
「で。俺は何をどうすれば良いんですか?」
バートに尋ねられて、エニィルは説明を始めた。
「剣を抜いて、この像にこうやって、かざすんだ。両手でしっかり握ってて。離さないように」
エニィルは奇妙な像に触れながら言った。
「熱くないんですか?」
サラが心配そうに尋ねた。リィルはその像には近付きたくもないらしく、かなり離れたところから見守っていた。
「このくらい何てことないよ。……バート君に比べたら」
エニィルの穏やかな微笑が消えた。いくよ、と言って、エニィルは像に埋め込まれている石のひとつををぐっと押し込んだ。
その瞬間、ものすごい閃光が剣とバートを貫いた。
*
「っ!」
バートの全身を衝撃が貫いた。あまりの衝撃に声も出なかった。
どくん、と自らの鼓動が聞こえた。熱い血液が体中を駆け巡っている感覚。熱い……!
(両手でしっかり握ってて。離さないように)
とエニィルが言っていた。全身が熱く、気が遠くなりそうだったが、バートは剣を握りしめる両手に力をこめた。
(……これ、って……)
似てる、と、バートは思った。前にも確か、こんなことが……。あれは、
(……父、親……?)
(バートは、オレの息子。ガルディアの血からは、逃れられない)
(貴方には……クラリス様の血が……流れているのね……)
(まだ扱い方がわからないのね……。フフフ、わたくしが教えて差し上げましょうか……?)
(扱い方……? 何、の……?)
――どくん。
「う……あ、あああああ!」
バートは絶叫していた。そして、目の前が真っ暗になった。
(2)
「う……あ、あああああ!」
バートが叫び声を上げた。剣先が地面に落ちる。バートは両手で剣の柄を握りしめたまま地面に片膝をついていた。
「バート……君……」
エニィルは呆然と呟いた。
「…………」
キリアも、サラも、遠くで見守っていたリィルも、バートを見つめて、声が出なかった。
バートがゆっくりと立ち上がった。
そのバートの背中には、一対の赤い翼が、あった。
「バート君……」
エニィルがバートに声をかける。バートはゆっくりとした動作で、右手に握りしめた剣を振り上げた。
「おじさまっ」
サラが叫んでバートに駆け寄る。バートがエニィルに向けて剣を振り下ろそうとするのと、サラがバートの右腕を掴んで止めたのが同時だった。
「サラ王女っ」
「きゃあっ」
バートは無言でサラを突き飛ばした。サラは床に倒れる。
「サラ!」
キリアは叫ぶ。
「サラを突き飛ばすなんて……アイツ正気じゃない!」
「……ダメだ」
キリアの後ろでリィルが小さく呟いた。
「やっぱりここでは『水』が使えない。力が制限されてるみたいなんだ……。多分、父さんも」
バートは右手の剣を掲げた。背中の赤い翼が赤く輝く。キリアはバートの表情を見た。その瞳には、生気がなかった。
「エニィルさん、下がって下さいっ」
キリアは叫んで駆け出した。
「すまない、キリアちゃん」
バートは炎の精霊を召喚して、こちらに放ってきた。キリアも風の精霊を召喚して放って相殺する。
「アイツ……。炎の精霊を、使いこなしてる……?」
いつものバートなら「炎の精霊を召喚して、放つ」なんてこと、できないはずなのに。
「バート……どうしちゃったの?」
サラが立ち上がってバートに問いかけた。
「サラ……」
「なんで攻撃するの……? お願い、元に戻って!」
「キリアちゃん、サラ王女!」
二人の後方から、エニィルが鋭く叫んだ。
「ここは、いったん退こう」
「え……?」
サラがエニィルを見る。
「みんなでいったん『この場』から離れるんだ。ここだと僕は力を使えないから」
「外に出るってことですか?」
「リィル、急げ! サラ王女とキリアちゃんも早く!」
エニィルの言葉には有無を言わせぬ響きがあった。リィルもそんな父の意図を感じ取ったのか、すぐに小さく頷いて外に向かって駆け出した。キリアもサラの手を取って駆け出そうとする。
「バート……」
サラはバートと、その背中の赤い翼を眺めて、呟いた。
「サラ、ここはいったん……」
キリアはサラに声をかけて、行きましょう、と促《うなが》した。サラは小さく頷いた。
*
リィル、キリア、サラ、エニィルの四人は『部屋』を出て、通路を駆け抜け、扉の外に出た。太陽の光がまぶしかった。
「……はあ。生き返る……」
リィルは大きく息をつくと、よし、と気合を入れて、今出てきた扉のほうを見やった。
「外《ここ》でなら、例えバートが攻撃を仕掛けてきたって、互角に戦える」
「ちょっとリィルちゃん、物騒なこと言わないでよ……!」
サラが少し咎《とが》めるような口調で言う。
「そうよリィル、変な対抗意識燃やさないでよ」
「キリアまで……別にそんなつもりは」
四人はしばらくの間、無言で扉を見つめていた。しかし、バートが四人を追って扉から出てくる気配は無かった。
「……エニィルさん」
キリアはエニィルを見て問いかけた。
「これは……予期していたことだったんですか……?」
「いや」
エニィルは即答して、首を振った。その顔は少し青ざめているように見えた。
「まさか、こんなことになるなんて……かなり、驚いている」
「そうですか……」
キリアは呟いて、さっきのバートの姿を思い浮かべた。背中に生えた、一対の赤い翼――。『敵』である、『異形』の姿。確かにバートには異形の敵、クラリスの血が流れているのかもしれない。しかし、それでも、今まで一度だってバートのこんな姿は見たことがなかった。
「でも、どうして……」
サラが小さく呟く。
「父さん、まさか、今のが『大精霊”炎《ホノオ》”』の力……?」
リィルが厳しい表情でエニィルに尋ねる。エニィルは静かに首を振った。
「いや……。『大精霊”炎《ホノオ》”』は、単なる引き金に過ぎないと思う。……あれは、クラリスの……ガルディアの、血……?」
「血……」
サラが心配そうに呟いた。
「バートは……元に戻るのかしら……?」
「…………」
エニィルもリィルもキリアも、その呟きに答えを返せなかった。サラはふらりと扉のほうに歩を進めた。
「サラ王女?!」
扉の中に入っていこうとするサラに、エニィルが慌てて声をかけた。
「あたし、バートを見てきます」
「しかし……王女、」
「バート一人にしてきちゃったから……心配になってきちゃって……」
「サラっ!」
リィルが叫び声を上げた。サラははっとしてすぐに反応して動いた。今までサラが立っていた場所に、炎をまとった剣が振り下ろされていた。
赤い翼を生やした黒髪の少年――バートが、扉から出てきていた。その瞳には相変わらず生気が宿っていない。右手には、炎をまとった剣を握っていた。
「「バートっ!」」
リィルとキリアは同時に叫んでいた。しかし、バートは反応を示さない。左手を掲げて、炎の精霊を召喚しようとしている。
「やめて!」
サラが叫んでバートの左腕にすがりついた。バートは虚ろな瞳でサラを見る。
「やめて! あたしたちは貴方の敵じゃないわ! 今までずっと一緒だったじゃない! あたしたちは貴方の仲間よ! だから攻撃はやめて!」
バートは無言で右手の剣を振りかぶった。
「サラ、逃げて!」
キリアが叫ぶ。
バートはサラに向けて、右手の剣を振り下ろそうとしている。
「バート、やめろっ!」
リィルが叫ぶ。
「あたしたちは貴方の敵じゃないわ、仲間よ!」
サラはバートの瞳を見つめて叫んだ。
「たとえ貴方に赤い翼が生えても、貴方がガルディアでも――あたしたちは仲間よ! 当たり前じゃない!」
「…………」
バートはサラの言葉に反応するように、右手の動きを止めた。
「バート……?」
からん、と音がして、炎をまとっていた剣が地面に落ちた。
「バート……正気に……?」
「サラ王女、ごめんっ」
エニィルの声が聞こえた。次の瞬間、バートの頭上に大量の「水」が出現した。水はそのままバートの頭の上に落ちる。ばしゃん、と音がして、サラもその水の三分の一くらいを頭からかぶった。サラは思わずその場に尻餅をついていた。
サラがはっと気がつくと、サラの目の前で、全身ずぶ濡れ状態のバートがサラと同じように座り込んでいた。
「あ……れ……」
バートはびしょびしょの前髪をかき上げながらサラを見て呟いた。バートの背中からは、赤い翼が消えていた。
(3)
「あ……れ……」
バートはサラを見て呟いた。全身が冷たいなと思ったらびしょ濡れで、前髪からぽたぽたと水が滴り落ちていた。バートは地面に座り込んでいて、目の前にはサラが同じように地面に座り込んでいた。
「ええと……」
「バートっ!」
サラが顔をぱあっと輝かせ、自然な動作でバートに抱きついてきた。
「……お、おいサラっ」
「良かった……!」
バートの胸の中で、サラが大きく息をついた。バートはサラの金髪もびしょびしょに濡れていることに気がついた。いや、髪だけでなく、サラも自分と同じように全身がびしょびしょに濡れている。
バートは抱きついてきたサラを引き剥がすこともできず、固まったまま記憶を辿っていた。”炎《ホノオ》”の扉を開けて、中に入り、大精霊の力を、剣に……
で。気がついたら扉の外にいて、全身ずぶ濡れ状態だった。
「おいサラっ」
バートはサラを引き剥がすと、サラの目を見て尋ねた。
「一体何があった? なんで俺たちこんなことになってるんだ?」
「…………」
サラは気まずそうに視線を逸らした。一瞬後、元気良く立ち上がり、バートに笑顔を向ける。
「何も無かったわ。大丈夫! ちょっと濡れちゃったけど……」
「嘘つけっ!」
バートは叫んだ。少しずつ、蘇《よみがえ》ってくる、あのときの記憶……。
「俺は……」
頭が痛くなってきて、バートは額に手を当てた。
「……リィルっ」
バートはリィルを振り返った。リィルは苦笑いのような表情を浮かべて、こちらを見ていた。
「おい、俺が意識失ってる間、何があったんだ? ――俺は、何をしたんだ……?」
「……バート、」
「嘘言ったら承知しねーからな……」
バートは低い声を絞り出した。
「嘘言ったら……お前とは、一生、絶交だ」
「…………」
「……僕が話すよ」
にらみ合うバートとリィルの間に、エニィルが割って入った。
「父さん」
「良いよね? リィル。サラ王女」
リィルは覚悟を決めたように小さく頷き、サラも小声で「はい」と答えた。
*
「……やっぱり、な」
エニィルの話を聞いて、バートはぽつりと呟いた。
「何だ、意外と冷静だね」
リィルが拍子抜けしたように言ってくる。
「どういうリアクションを期待してたんだよ」
「期待はしてなかったけど、……もっと取り乱すかと思ってた」
「……ファオミンとかいうガルディアの女将軍が、言ってたんだ」
と、バートは言った。
「ファオミン?」
「今リンツの地下牢に捕まってるアイツ。こないだ、母親と一緒にヤツに会ってきたんだ。アイツが言うには、俺はクラリスの息子だから、クラリスの血が流れてるって……。俺も『翼』を持ってるはずだって。扱い方がわからないだけだって……」
「ふーん。アイツがそんなことを……」
キリアは呟いた。
「……で。わかったの?」
「へ? 何が?」
「『翼』の扱い方」
いんや、とバートは首を振った。
「わかるわけねーだろ。俺、結局、意識失って……暴走っつーか、みんなを傷つけようと……してたんだろ……」
改めて口に出してみて、バートの背筋に寒いものが走った。今更ながら、声が震えてくる。俺は一歩間違っていたら……みんなを……この手で……
「……ちきしょうっ!」
バートは右手で地面を殴りつけた。何度も、何度も。
「なんで俺の父親はガルディアで……! 俺も、その血を受け継いで……! それで、みんなを……!」
何度目かに振り下ろした右の拳は、硬い地面ではなく、小さくて温かい掌《てのひら》に受け止められた。
「サラ……」
バートは隣に座るサラを見た。
「バートは誰も傷つけてなんか、いないわ」
サラはバートの目を見て、きっぱりと言った。
「あたしに剣を向けたりもしたけれど、ちゃんと止めてくれたもの。だから、大丈夫! バートは翼を持っていたって、大丈夫よ!」
そう言って、ずぶ濡れのサラは笑った。
「サラ……」
……ありがとな、と呟いて、バートもサラに笑いかけた。
「……だよなっ」
バートは言って、元気良く立ち上がった。
「こんな小っせーことで落ち込んでられっかよ! 俺は大丈夫だ! もう誰も傷つけねー! ガルディアの血なんかに負けてたまっかよ!」
ふと、地面に落ちている剣が目に入った。クラリスから受け継ぎ、そして、大精霊”炎《ホノオ》”の力を宿した、剣。バートは剣に歩み寄り、拾い上げようと屈み込んだ。
(……大丈夫、)
気を失う前、この剣から恐ろしいほどの炎のエネルギーが流れ込んできたのを思い出した。おそらくそれが原因で、自分の中のガルディアの血が『暴走』してしまったのだ。
(……大丈夫だ)
バートは剣を拾い上げた。そして、以前より少しだけ重くなっているような気がするその剣を、腰の鞘の中に納めた。