「リィル!」
バートは振り返って叫んだ。敵の一撃目で足を負傷したリィルに、敵の二撃目が容赦なく襲いかかった。リィルは風の刃をまともに食らい、地面に倒れた。
「バート、行って!」
倒れたまま顔を上げずにリィルが叫んだ。その声には苦痛の色が含まれている。バートは一瞬躊躇《ちゅうちょ》したが、今すぐこの状況でリィルを救うことはできない。それより敵の動きを止めることのほうが先だ。敵との距離はまだだいぶあったが、バートは意を決して敵に向けて駆け出した。
敵は迫り来るバートに向けて風の精霊を放ってきた。バートは風の軌道を良く見て、ギリギリまで引き付けてから素早くかわした。さすがに完全にかわすことはできず、右頬と右腕に痛みが走る。切れた右頬から血が流れ出るのを感じながら、バートは速度をゆるめずにローブ姿の精霊使いに突っ込んだ。
「であああ!」
バートは振りかぶった剣を振り下ろした。ローブ姿の精霊使いはひらりと乗用陸鳥《ヴェクタ》から飛び降りた。罪の無いヴェクタを傷つけそうになってバートは慌てて剣を止めた。
「あの六人を簡単にやってしまうとは、なかなかやるな……とでも言っておくか」
低い男の声がバートの耳に届いた。バートはきっとローブ姿の男――やはりフードを目深に被っている所為で顔は良く見えなかった――を睨みつけた。
「てめーが黒幕だな! ふざけんなよてめー! ピアン王女攫《さら》ってキグリスの国宝手に入れようなんてくだらねえこと企みやがって! おまけに俺の友人やりやがって……!」
くくっ、と男は低い笑い声を漏らした。
「確かに、くだらないな」
「そう思うなら、二度とこんなことしねーって誓え! でも謝ったところで許さねーけどなっ!」
バートはリィルが倒れたことに対してかなり動揺していたらしく、自分でもわけのわからないことを叫びながら男に斬りかかっていった。
「なかなか、良い腕だ」
男はバートの剣をかわしながら言った。
「だが、」
バートは耳元で風の音を聞いた――次の瞬間、
「?!」
バートは何が起こったのか理解できないまま、なす術もなく地面に倒れていた。全身を切り裂かれるような痛みが襲いかかってくる。バートは唇を噛んで叫び声と苦痛を堪えた。
「恨むなら、自分の無力を恨むんだな」
頭上から男の声が降ってきた。
(今の……精霊……?)
精霊攻撃には、召喚してから放つまでに多少の時間がかかるはずだった。それをこの目の前の男は、バートの剣をかわした後の一瞬でやってのけ、強力な精霊攻撃を至近からバートに食らわせたのだ。
「てめ……」
バートは頭を持ち上げて男を睨みつけようとしたが……できなかった。バートの意思とは裏腹に、バートに意識はゆっくりと薄れていった……。
*
リィルが地面に倒れたのを見て、キリアとサラに緊張が走った。
「だから慎重にって言ったのに……っ!」
キリアは悔しそうに呟くと、リィルを救うべく乗用陸鳥《ヴェクタ》から飛び降りて駆け出した。あたしも、と叫んでサラも駆け出した。
キリアは体力にはあまり自信がなかった。当然、走るのはサラのほうが速く、サラはキリアより先にリィルのもとに辿り着いた。サラは膝をついて座り込むと、リィルの怪我の具合を確認した。うつ伏せに倒れているリィルの背中が服ごと切り裂かれ、出血で真っ赤に染まっている。他に右足首からも血が流れ出ていた。サラは大地の精霊を召喚すると、精霊の力で怪我の治癒を開始した。精霊の力は上手く使えば、人間の持つ自然治癒力に働きかけ、比較的短時間で傷を癒すことができる。精霊の力をそういう風に使えるかどうかは、かなりの個人差があった。例えばバートやリィルは精霊治癒を使うことができない。リィルは昔、精霊治癒を会得しようとかなり努力していたようだったが、今ではできないものはできないと諦めているらしい。
「バートっ!」
サラの後ろでキリアが叫んだ。サラははっとして、顔を上げて前方を見た。バートが苦痛に顔を歪めて地面に倒れるところだった。バートは倒れたまま、必死で動こうとしているようだったが、受けたダメージが大きく動けないようだった。
「サラはそのままリィルのことお願い。バートは私が。私も治癒は使えるから」
キリアはサラにそう声をかけてサラのそばを通り過ぎて行った。サラはうなずいて、リィルの怪我を癒すことに意識を集中させた。
「失礼しますっ」
突然、サラの至近で明るい少年の声が聞こえた。はっとしてそちらを見やると、オレンジ色のバンダナを結び、鎧を身につけた少年がサラのすぐ後ろに迫っていた。全く気付かなかった。彼はバートたちにやられて地面に倒れていたはずでは――。
少年は手にしていた布で背後からサラの鼻と口をふさいだ。今朝、小屋の中で感じた刺激臭。サラは息を止めて少年を振り払おうとしたが、だんだん気分が悪くなってきて……
*
「リーダー、任務完了ですっ」
バンダナの少年剣士は、意識を失ってぐったりとなったサラを軽々と抱えて漆黒のローブの男の元へと駆けた。
「サラ!」
キリアは叫んだ。キリアがバートのそばに辿り着くよりも速く、少年はローブの男の元に辿り着いている。
「よくやった」
ローブ姿の男は満足そうにうなずいた。
「じゃあっ、早速ずらかりましょう!」
少年はサラを抱えて乗用陸鳥《ヴェクタ》に乗り込んだ。ローブ姿の男も続く。
「ちょっと!」
キリアは必死で叫んだ。ここでサラが連れ去られてしまったら、今までの自分たちは一体、何だったのか。無駄だと頭の片隅でわかりながらもキリアは風の精霊を召喚する。
男はキリアに構わず乗用陸鳥《ヴェクタ》を走らせようとしている。バンダナの少年が笑顔でキリアに向けて手を振ってきた。
「それでは、僕たちはこれで。倒れてるお兄さんたちにお大事にって伝えておいて下さい、キリアさん」
「!」
自分の名前を呼ばれてキリアは一瞬はっとなった。気を取り直して、乗用陸鳥《ヴェクタ》に向けて風の精霊を放つ。ローブ姿の男がゆっくりと片手を掲げた。キリアの放った精霊は、男の放った精霊によって相殺され、消滅した。
「何で私の名前……」
キリアは呟く。キリアの名前を呼んでしまったことは少年の失態だったらしく、少年はローブ姿の男に無言でどつかれていた。
いや、今となってはそんなことはどうでも良かった。キリアの目の前で、ピアン王女サラが連れ去られようとしている。キリアの目の前には、バートとリィルが血を流して倒れている。キリアひとりでサラを追いかけることもできるが――やはり、傷を負ったバートとリィルを見捨てて行くことはできない。
「追いかけよう」
キリアの後方から声が聞こえた。振り返るとリィルが怪我した足をかばいながら、ゆっくりと歩いてキリアに近付いてくるところだった。
「リィル……起きて大丈夫なの」
「あんま大丈夫じゃないけど、サラのおかげで出血は止まったみたいだし……怪我したのは俺の失態だし」
リィルはちょっと悔しそうに言う。その顔からは血の気が引いていて、血は止まったものの貧血状態でだいぶ辛いのだろう。
「サラを奪われるのは、やっぱりものすごくまずいよ……。多少無理することになるけど、一刻も早く、追いかけないと」
「……そう、だけど……」
「バートはけっこう体力あるから大丈夫。簡単には死なないと思う」
リィルはバートを見て言った。
「キリア、悪いけど急いで俺たちの乗用陸鳥《ヴェクタ》を連れてきて。バートはサラを追いかけながら治癒すれば良いと思う。ヴェクタの運転は俺がするから」
「わかった……でも無理はしないでね」
キリアはそう言うと、後方に停めたままのヴェクタ目指して駆け出した。リィルはバートのそばに座り込んで、応急手当に取りかかった。
(5)
リィルが手綱を握り、三人を乗せた乗用陸鳥《ヴェクタ》はサラを連れ去った男たちを追って北を目指していた。キリアはぐったりとなっているバートに精霊治癒を施していた。バートの服は全身がずたずたに切り裂かれ、血の赤に染まっていた。リィルの応急処置も適切だったらしく、バートの傷はキリアの力によってわりとすぐに塞がった。
「う……」
バートは小さく呻くと、ゆっくりと目を開けた。
「気がついた? 大丈夫?」
「キリア……?」
バートはキリアを見て、ゆっくりとあたりを見回した。揺れながら後方に流れていく草原の緑色の景色。
「これって……どういう状況なんだ……?」
そこまで言って、バートははっとしたように身を硬くした。
「……まさか」
「うん。そのまさか……だったり」
キリアが自嘲気味に呟いた。
「サラが……まんまと連れ去られたって、わけだな」
「ごめんっ!」キリアは目を閉じて頭を下げた。
「私がついていながら……油断してた。本っ当にごめん! いくら謝ったって……もう遅いけど……」
「ううん、キリアは悪くない」
乗用陸鳥《ヴェクタ》を操る手綱を握りしめ、前方をじっと見据えながらリィルがきっぱりと言った。
「俺の所為だ。俺が怪我して、それを治癒してた所為でサラは連れ去られたんだ……」
「それを言うなら俺だろ」バートも言う。
「俺がちゃんと敵の親玉仕留められなかったから……!」
「やめましょ、こんな会話」キリアは言って、リィルを見た。
「リィル、手空いたから運転代わるわよ。ゆっくり休んでてちょうだい」
「……悪いね」
リィルはキリアに手綱を渡し、場所を代わった。
「もう、追いつけない……かな?」
リィルはぽつりと呟く。リィルはバートの怪我に響かないように気を使いながらもかなりの速度で乗用陸鳥《ヴェクタ》を走らせていた、つもりだった。しかしサラを攫《さら》った男たちを乗せたヴェクタとの距離は、縮まるどころか逆に離れていった。少し前まで前方に小さく見えていたヴェクタは、もうどこにも見えなくなってしまっている。
「どうしよう……」
キリアは乗用陸鳥《ヴェクタ》を走らせながら、バートとリィルに問いかけた。リィルは懐から一枚の紙切れを取り出した。『ピアンの王女は我々が預かっている』と書かれた、脅迫状だった。これからどうするか。その議論は、キリアが攫《さら》われたときに、バートとリィルとサラで話し合って結論を出していた。
「やっぱりキグリス首都に向かう――で、良いよね、バート」
「ああ」バートはうなずいた。
「そうね……。サラの安全第一ね」キリアもうなずいた。
「それにしても……あの子、」
キリアは独り言のように呟いた。
「どうして私の名前、知っていたのかしら」
「あの子って?」バートは聞き返す。
「オレンジ色のバンダナしてた少年剣士君」
「キリアの知り合い?」
リィルが尋ねてくる。キリアは首を振った。
「ううん。知らない……と思う、けど、」
そこまで言ったとき、キリアの脳裏にある仮説が浮かび上がってきた。
「まさか……」キリアは口元に片手を当てて呟く。
「キリア?」
「だから……、私をみんなのところに返してくれたの……?」
「あ……」リィルにも何かがひらめいたようだった。
「キリアに顔が割れると、まずいから……?」
キリアは黙ったまま、リィルとバートを襲った風の精霊使いの姿を思い浮かべていた。漆黒のローブ。遠くからだったので顔は良く見えなかったけれど。あんな強力な風使い、キグリス王国にそう何人もいない……。
「まさか……でも、どうして……?」
キリアはぶつぶつと呟き続ける。
「キリア、もしかして、心当たりでもあるのか?」
バートの問いには答えられなかった。もしキリアの仮説が正しかったとしたら……何故『彼』は、ピアン王女を攫《さら》って、キグリスの国宝を手に入れようなんて企んでいるのだろう……?
(――伯父さま)
*
岩肌にはめ込まれた金属製の古びた扉を開けて、三人は「通路」を進む。バートが扉を開けて、バートを先頭に、サラとキリアが続く。リィルは何故か「外で待ってる」と言って、ついて来なかった。「俺だと多分ダメなんだ」とか何とか言って。
サラはドキドキしながら通路を進んだ。昔から憧れていた「四大精霊の伝説」。伝説によると、二千年前に大陸を救ったのは、大精霊の力を貸し与えられた四人の勇者たちで、四人の間には色々とロマンティックなロマンスなんかもあったりした、らしい。サラは小さい頃から、絵本から小説まで様々なパターンの「四大精霊の伝説」を読み、二千年前の冒険譚に思いを馳せてきた。
そして、その伝説の「大精霊」に、もしかしたらこの通路の奥で会えてしまうかもしれないのである。今まさに、伝説に一歩一歩、近付いているところなのだ。
(そういえば、あたし達も「四人」よね)
改めてサラは思った。サラは春生まれで「土」、バートは「火」。キリアは「風」でリィルは「水」である。
(あたし達、ちょっと『伝説の四人の勇者たち』に似てるんじゃないかしら)
と、サラは思ってみる。
(バートはきっと伝説の炎の勇者様の末裔か何かで……。だから伝説の扉を開けられたのよ)
通路の中はすごい熱気だった。歩いていると汗が噴き出してくる。やがて、最奥の行き止まりにたどり着いた。金属製の古びた扉がはめ込まれている。
バートが手を伸ばして扉を開ける。途端に通路がまぶしい光に照らし出された。扉の向こうは明るかった。
「お目覚めのようだな」
男の声がして、サラははっと我に返った。長い髪をした、見知らぬ男が視界に入った。男はフードを外していた。暗い緑色の長い髪。鋭い眼光。
ここは「通路」ではなかった。どこかの小屋の中のようだった。「道の駅」に似てるなとサラは思った。
(あら……? じゃあ、さっきの伝説の扉とかは……夢?)
なかなかリアルな夢だった。数日前の体験そのままだった。
「せっかく良い夢見てたのに……」
サラは残念そうに呟いた。
「…………。それは悪かったな、ピアン王女」
「貴方は……」
そこまで言って、サラははっと思い出した。血塗れのリィル、倒れたバート、そして、オレンジ色のバンダナの少年。
サラは立ち上がろうとしたが、できなかった。サラの身体はロープで椅子に縛り付けられていた。その椅子は部屋の片隅に立つ柱にしっかりと固定されていた。
「怯えなくても大丈夫ですよ」
明るい少年の声が聞こえた。そちらを見やると、サラに眠り薬をかがせて気を失わせた張本人が、にこにこと笑みを浮かべてサラを見つめていた。
「僕たちは貴女にこれ以上何もしません。ですから、安心してそこで大人しく待っていて下さい。きっと誰かが……僕たちの要求している『英知の指輪』を持って、助けに来てくれますから」
「バート……」
サラは呟いた。
「リィルちゃん……キリア……」
「王女のお仲間さんたちの名前ですか?」
少年が尋ねてくる。サラはうなずいた。
「彼らにはちょっと痛い目に遭わせてしまいましたが、心配しなくても大丈夫ですよ。あの場に残ってたお姉さん――キリアさんは、精霊治癒が使えるんでしょう?」
「……おい、」
長髪の男が少年を軽く小突いた。余計なことは喋るな、と呟いて、きっと少年を睨む。
「……っと。こわいこわい……」
少年は呟いて、自らの口にチャックをする仕草をした。そして失礼します、と頭を下げ、二、三歩下がった。
サラは唇を噛みしめた。自分はバートたちの枷になってる――。自分の所為で、キリアを危険な目に遭わせたばかりでなく、バートとリィルに怪我を負わせてしまった。全部、自分の所為だ。自分がピアン王女だから……!
(そんなこと考えちゃあダメよ、サラ)
そう言ってふわりと微笑むのは、サラの母だった。サラの母はいつも言っていた。
(ピアンの王女なんて、なりたくてもなれるもんじゃあないのよ。ピアンの王女であることに、誇りを持って。そして、ピアンの王女として、みんなを幸せにすることを考えなさい。あなたの父――カシスはね、その力で、ピアンのみんなのこと、守っているのよ。だから、貴女も、その力で……)
サラは両の拳を握りしめた。そうだった。自分が大地の精霊を使いこなせるようになったのは。ピアン王直伝の体術を身につけることができたのは。
サラは自分を椅子に縛り付けているロープを確認した。ロープはピアン王女に多少遠慮している所為か、そんなにきつくはなかった。
(このくらいなら――切れるわ)
サラはそう確信した。
(6)
昼をだいぶ回り、太陽がだいぶ高度を下げた頃。乗用陸鳥《ヴェクタ》に乗って北を目指すバート、リィル、キリアの三人は、遠方に小さな小屋を見ていた。
「あれが、もしかして」
リィルはバートとキリアに声をかけた。
「そうね……、取引場所に指定された『道の駅』ね」
とキリア。
「じゃあ、あそこにサラが……!」
バートはすぐにでも小屋に特攻をしかけたい気持ちになったが、
「今は堪えてね、バート」
そんな気持ちを察してか、キリアが落ち着いた声で言った。
「サラはピアン王女――大事な取引の材料なんだから、何もされないはずよ」
私だったらどうされてたかわかんないけどね――と、キリアはそっと思った。今回は無事に返してもらえたものの、普通、王女と間違えて連れてきてしまった女性を、本物の悪党だったら何もせずに手放したりするのだろうか……。今回の「悪党」たちがキリアの知り合い(と、キリアは推測していた)でなかったとしたら……キリアは最悪、その場で始末されていてもおかしくはなかったのだ。そう考えて、キリアはちょっとぞっとしてしまった。
キリアは道の駅の小屋を横目で眺めながら、そのままそこを通り過ぎてキグリス首都を目指す、つもりだった。しかし、キリアは「あれ?」と呟いて、乗用陸鳥《ヴェクタ》の速度をゆるめてしまっていた。
「どうしたんだ、キリア?」バートが尋ねてくる。
「あのヴェクタ……」
小屋から少し離れたところに立っている大きな木。その根元に、派手な飾りつけのされた立派なヴェクタが繋がれているのが目に留まったのだ。あれは確か、キグリス王族しか乗ることを許されない……
キリアたちがその乗用陸鳥《ヴェクタ》をじっと見守る中、そこから一人の少年が地面に降り立った。茶金色の髪。高価な生地で作られた服に、赤く輝くマント。腰に差しているのは宝石のちりばめられた長剣。
「ちょっとなんで……」
キリアは我が目を疑いつつ、呆然と呟いた。
「なんでこんなところにいるの……? ロレーヌ王子……」
*
乗用陸鳥《ヴェクタ》の背で一人、豪華な宮廷弁当を食べ終わったキグリスの王子・ロレーヌは、
「よし!」
と気合を入れて、ヴェクタの上から地面に下り立った。
晴れ渡った午後。悪者によって捕らわれ、監禁される姫。そこに颯爽と現れ、悪者の魔の手から姫君を救い出す、異国の王子。
「このウェディング・リングを手渡す絶好のシチュエーションだね」
王子は胸ポケットから、小さな宝石のついた指輪を取り出して太陽にかざした。その宝石は陽の光を受けて、虹色の輝きを放った。
王子は満足そうに微笑むと、指輪を胸のポケットにしまい、足取りも軽く、ピアンの王女と「悪者」の待つ小屋へ向かって歩いていた。
「……っと、突入前に」
王子は立ち止まり、腰に差した剣を抜き放つ。その剣を天高く掲げ、
「もう一度だけ、リハーサルしとこっかな」
小屋の中にいる姫に聞こえないように、口だけ動かして名乗りを上げる真似をする。
(やあやあ我こそは、キグリス王国第一王子、ロレーヌ=ド=ラ=キグリス……!)
「何やってんですか、王子……」
「うわあっ」
突然背後から声をかけられて、ロレーヌはびくうっとなって振り返った。
*
「み、み、見たなーーーっ!」
「あ、え、えっと、いきなりすみません……」
王子に声をかけた途端、真っ赤になってわめかれて、キリアは慌てて頭を下げた。
「だ、だいたいなんだ、君たち! 乗用陸鳥《ヴェクタ》の上から! し、し、失礼じゃないか!」
「あ、ゴメンなさいっ」
キリアは急いで、ヴェクタから飛び降りた。
「ちょっとびっくりしちゃって……。まさか王子がこんなところにいるなんて」
「それにいきなり剣を抜くものですから。何事かと思っちゃいました」
リィルもヴェクタから飛び降りながら、王子に頭を下げた。
「ええと、初めまして。リィルといいます。ピアンのサウスポート出身です。――あ、『でした』かな。今サウスポート無くなっちゃいましたし」
「……別にそこまで言う必要ねーだろ」
「ほらっバートも降りて挨拶しろよ」
リィルはバートを振り返った。
「そうよ、この方、一応王子様なんだから」
「キリア、一応って……」
バートは面倒くさそうにヴェクタから降り立った。
「あー、俺はバートってんだけど、」
「ピアンの将軍の息子さんなの。よろしくね」キリアが続ける。
「……で、王子」
キリアは王子をじっと見つめて言った。
「ここからが本題なんだけど」
「なっ、何さ!」
「今ちょっと大変なことになってるの。ええと……、言っちゃって良いわよね。ピアン王女サラのことは知ってる?」
「え、え? さ、サラちゃんのこと? さ、さあ……」
「……は?」
「じゃなくて、ええと、僕のお嫁さんになるコのこと?」
「……ええと」キリアは言葉に詰まった。
「そ、それ以外のことは何も、知らないよ!」
「……怪しい」
リィルがボソリと呟く。
「ああ」
バートも大きくうなずく。
「……何か知ってるわね?」
キリアは王子を見つめる。三人に詰め寄られ、王子は困惑したように後ずさった。
「王子……?」
「う、う、うるさいーー!」
何故か大パニック状態の王子は、キリアたちにくるりと背を向けて、
「と、とにかく! サラちゃんを助け出すのは、このボクだーーー!」
大声で叫ぶと、ひとり、小屋に向かって駆け出していってしまった。
「?!?」
残されたキリアたちは、呆然と、その後姿を見送る。
「え? 今なんて?」
「サラを助け出すって……?」
「ちょっと待って! どういうことなの、王子……!」
キリアも王子を追って、駆け出した。
*
小屋の外が微妙に騒がしい……。バンダナの少年が、はっと小屋の扉の方を見やった。
「そろそろ来ました……かね」
「……やり直しだ」
ローブ姿の長髪男は、何故か不機嫌にそう言い捨てた。
「リーダーっ、誰か来たみたいです!」
しゃきっと背筋を伸ばしてバンダナの少年が叫んだ。長髪の男は小屋の扉のほうを見やった。
二人の注意が、サラから小屋の外に向けられた。小屋の外からは、確かに複数の男女が言い合うような声が聞こえてくる。その中には、聞いたことのある声が混じっていた。サラが良く知っている、一緒に旅してきた仲間たちの声。
(みんな……? 来て、くれたの?)
もう、彼らの重荷には、なりたくない。サラは目を閉じて意識を集中させた。
(大地の精霊よ……。あたしに力を貸して!)
「はああっ!」
サラは気合の声と共に、両腕に力を込めた。サラを拘束していたロープがバラバラに千切れて弾け飛んだ。
「なに……っ」
「王女っ……?」
長髪男とバンダナの少年が驚きの声を上げてサラのほうを振り返ったときには、サラは一気に長髪男との距離を詰めていた。右の拳には、未だ大地の精霊の感触が残っている。
手加減は、しない。
「やああっ!」
サラは大地の精霊で破壊力が増した拳を、遠慮なくローブ男の鳩尾《みぞおち》に叩き込んだ。
*
「と、とにかく! サラちゃんを助け出すのは、このボクだーーー!」
大声で叫んで、ひとり、小屋に向かって駆け出すキグリス王子ロレーヌ。残されたキリアたちは、呆然とその後姿を見送る。
「ちょっと待って! どういうことなの、王子……!」
はっと我に返ったキリアも、王子を追って駆け出した。
王子は小屋に辿り着き、扉を開けようと手をかけた。――と、そのとき、突然扉が内側から勢い良く開け放たれた。
「え? う、うあ?!」
扉を顔面で受け、仰向けに倒れる王子。
中から出てきたのは……見慣れた、金髪の少女だった。
「みんな! 無事だったのね!」
明るく叫ぶサラは、足元に転がっている王子に、気付いていなかった。