変 化 点

 リィルは石に腰かけ、「”炎《ホノオ》”の扉」をぼんやりと眺めながら考え事をしていた。バートの父親――ガルディアの将と行動を共にしていたという、姉エルザのことを。バートはエルザに会ったのに、自分は会えなかった、その意味を。たまたま自分が小屋の中で眠っていたから? 姉は自分がすぐ近くにいたことを、知っていたのだろうか。知らなかったのだろうか。例えば、あのとき、バートの隣に俺がいたら? ……意味なんてないのかもしれない。考えすぎなのかもしれない……
 そもそもクラヴィスさんは何故、バートがあそこにいたとわかったのだろう。尾けてきていた? それにしては、早朝に――。
 ふいに扉の向こうから三人が現れた。三人とも――バートも、サラも、キリアも何故か浮かない顔をしていた。バートが扉を元通りに閉めた。
 「待たせたな、リィル」
 と言って、バートが歩み寄ってきた。
 「お帰り。大精霊”炎《ホノオ》”には会えた?」
 「……うーん」バートは口ごもった。
 「アレ、一体何だったんだろうな?」
 バートは振り返ってキリアとサラに声をかけた。
 「さあ……」
 と言って、キリアは首を傾げる。
 「アレが大精霊”炎《ホノオ》”……なのか?」
 「だとしたら……想像してたのとだいぶ違ったわ……」
 サラが言った。リィルはサラの「想像」にちょっと興味があったが、突っ込まないことにした。
 「ええと。中で一体、何が?」
 リィルは聞いてみる。
 「何とも言えないわね……」とキリア。
 「ああ、もう、良くわかんない。いっそのこと見なかったことにしておきたいくらい」
 「??」
 なんか、この三人からこれ以上詳しいことを聞き出すのは難しそうだ――と、リィルは諦めた。三人は一体、扉の奥で何を見たのだろう。

 *

 「さて、と」
 何かを吹っ切るようにバートは言った。
 「大精霊”炎《ホノオ》”も見たし……なんか名残惜しいような気もすっけど、帰るか」
 「そうだね」
 リィルはうなずいて、立ち上がった。
 「そういえばここってほとんどキグリスとの国境だけど……キリアはどっち側に下りる?」
 「そうか。キリアとはここらでお別れだな」
 「ちょっと勝手に決め付けないでよっ」
 反射的にキリアはバートに言い返してしまったが、自分がかなり微妙な立場に立たされていることに気が付いた。勢いでここまで来てしまったものの、自分は元々、ピアン王女とキグリス王子を結婚させるためにピアンに来たのだった。あまり乗り気ではなかったのだが、命のため、仕方なく。そして逃げ出した王女を捕まえたとき、婚姻を拒む王女に同調してしまった。今更サラにキグリス王子との結婚を強要することなどできない――。
 「……やっぱり、キグリスに帰るしか、ないかな……」
 キリアはぽつりと呟いた。
 「サラは、キグリス行ってうちの王子と結婚する気なんて、ないでしょ……?」
 「…………」
 「うん、止めといたほうが良いと思う。結婚は一生のことだしね。私、大人しくおじいちゃんとキグリス王に怒られてくることにする」
 「キリア……」
 「そもそもうちの出した条件が無茶だったのよ。まったくピアン王女の気持ちも考えないで、これだから幹部の考えることは――。だからサラは悪くない。そんな顔……しないで」
 キリアはサラに微笑みかけた。
 「短い間だったけど、一緒に旅できて楽しかった。本当にありがとう。私今までこういう……旅、したことなかったから……本当に楽しかった。大精霊”炎《ホノオ》”も見れちゃったし、もう言うことないって感じ」
 「…………」
 「乗用陸鳥《ヴェクタ》……一匹、貰ってって良いわよね? そっちは残りの一匹に三人乗りで帰れるわよね?」
 「それはちょっと図々しいんじゃないか」
 とバートが言ってきた。彼のことだから、多分、悪気はないのだろう。
 「図々しいとは何よ! 良いじゃない。この乗用陸鳥《ヴェクタ》、元々私がキグリスから乗ってきたヴェクタなんだからっ」
 今ここにいる二匹の乗用陸鳥《ヴェクタ》は、正確にはリンツで「乗り換えた」ヴェクタだった。リンツの町の南側の入口にヴェクタを停め、北側の出口から別のヴェクタに乗って来たのだった。ピアンにもキグリスにも、このような「乗用陸鳥《ヴェクタ》乗り換え制度」がある。ヴェクタを町中に停めたことが証明できれば、別のヴェクタに乗り換えて町を出ることが可能になるのだ。
 「確かキグリス側って、山下りるとすぐに村があるんだったよね。キリアだけ徒歩で下山して、村でまた別の乗用陸鳥《ヴェクタ》を手配して帰れば良いのでは?」
 「……リィルまでそういう酷いこと言うのね」
 こいつらとこういう会話をすることも、もうできなくなっちゃうのか――。キリアはなんだか無性に寂しくなってきた。
 「冗談だって」リィルは笑った。
 「キグリス側の麓《ふもと》の村……何ていうんだっけ。そこまで乗用陸鳥《ヴェクタ》で送っていくよ」
 「ええー。それはさすがに悪いわよ」
 慌ててキリアは手を左右に振った。
 「……ねえ、キリア」
 今まで黙り込んでいたサラが口を開いた。
 「ん? 何、サラ」
 「あたしも……キグリスに行って、良いかしら?」
 「え」
 キリアはびっくりしてサラを見つめた。
 「あたし、キグリス首都に行こうと思うの。停戦同盟の使者として」
 「えええっ!」
 キリアは思わず大声を上げた。バートもリィルもサラの突然の発言に驚いていた。
 「あたし、色々考えたんだけど……」と、サラは言う。
 「キグリス首都に行って、王宮に行って、キグリス王と王子に会おうと思うの。そしてちゃんと話をしたいの。ピアンとキグリスの、これからのことについて」
 「サラ……」
 キリアはサラに尋ねた。
 「まさか、政略結婚に応じるって意味じゃ、ないわよね……?」
 「もちろんよ」と、サラは微笑んだ。
 「あたしは若いし、まだまだこれからだし、だから結婚はまだしません、って言うつもり」
 「そっかあ……」
 それは良いことかも、とキリアは思った。ここはもう国境だ。ピアン首都に帰る時間があればキグリス首都に行ける。そして、サラの説得がキグリス王と王子に通じれば、お互いに良い関係を保ったまま、サラに政略結婚を強いることなく、ピアンとキグリスの停戦同盟が成立する。
 「そういうことなら。良いわよ、サラ。キグリス首都まで連れてってあげる」
 「ありがとうキリア!」サラが喜んだ。
 「……良いのかなー、王女の独断で」
 リィルが独り言のように呟いた。
 「大丈夫よ」サラは自信有りげに言い切った。
 「お父さまはキグリスとの停戦同盟には乗り気だったもの。一番大切なのは、そこだと思うから」
 「そっか」とリィルは言った。
 「じゃあ、俺たちもキグリス首都まで付き合うよ。王女の護衛ってことで」
 「本当っ?」
 サラが顔を輝かせた。
 「バートも?」
 「ああ、良いぜ」
 やけにあっさりとバートもうなずいた。
 「どーせピアン首都に帰ったって、口うるせー母親に店の手伝いやらされるだけだからな」
 「じゃあ、決まりね! 四人でキグリス首都に行くってことで」
 サラが声を弾ませた。キリアはうなずいた。もうしばらくこの四人で旅を続けられるということが、じんわりと嬉しかった。

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