邂 逅

(1)

 夜明け前。バートは時折背後を気にしながら二人乗りの乗用陸鳥《ヴェクタ》を走らせていた。目指すは首都の北に位置するリンツという町だった。リンツはピアン王国で二番目に大きい町である。この乗用陸鳥《ヴェクタ》だと、リンツに着くまでには丸一日弱かかる。真夜中に首都を出てきたバートたちがリンツに着くのは、やはり夜頃になるだろう。
 「今のところ、追っ手は追いついてきてねーみたいだな」
 バートはサラに言った。
 「そうね」とサラ。
 「追っ手は上手くまけたんじゃないかしら。もう大丈夫かも」
 「でも、まだ気は抜けねーな。リンツまでは休みなしで飛ばすぞ」
 「良いわよ。リンツに着いたらゆっくりどこかの温泉宿にでも泊まりましょう」
 うきうきとサラは言った。
 「……お前、わりとのん気だな。自分の命が狙われてるってのに」
 バートは呆れる。
 「だって、ずっと気ぃ張ってても疲れるじゃない」
 地平線から、ゆっくりと太陽が姿を現し始めた。草原の真ん中を北へ延びる街道が少しずつはっきりと照らし出されていく。
 「ねえバート。せっかく遠出するんだから、大精霊”炎《ホノオ》”には会っていきましょうね」
 朝日に照らされた王女の横顔は輝いていた。
 「……そっちが目的かよ、もしかして」
 「細かいことは良いじゃない」
 ピアン王国とキグリス王国の国境であるピラキア山脈には、「開かずの扉」と、大精霊”炎《ホノオ》”の伝説がある。岩肌にはめ込まれた、誰にも開けられない「扉」。その奥で大精霊”炎《ホノオ》”が眠っているという伝説――と、サラは語る。バートもサラも、その場に行くのは初めてだった。
 「でも、『開かずの扉』って。誰にも開けられないって。それじゃあ大精霊”炎《ホノオ》”には会えねーってことじゃねーか」
 「うーん。そうねえ……」とサラ。
 「でも、例えそうだったとしても、良いのよ。伝説の、その場に行くってのが大切なんだから」
 「ふーん……」
 バートは気のない返事をする。とりあえず目指すはリンツの町だ。

 *

 リィルとキリアも、二人乗りの乗用陸鳥《ヴェクタ》を北に向けて走らせていた。バートのメモには大精霊”炎《ホノオ》”と書いてあった。大精霊”炎《ホノオ》”といえば、国境のピラキア山脈。バートとサラがそこに向かっているとしたら、北のリンツという町に立ち寄るはず。バートたちがリンツに着くのはおそらく夜で、バートたちはリンツに一泊するだろう。リィルたちがリンツに着くのは、休みなしでヴェクタを走らせて多分朝になる。そこで追いつける、というのがリィルとキリアの読みだった。
 リィルとキリアは運転を代わりながら北を目指した。真上にあった太陽がゆっくりと高度を下げ、あたりがだんだん薄暗くなり、そして街道が完全な闇に包まれ……、前方に、小さな木造の建物が見えてきた。「道の駅」と呼ばれる休憩所で、旅人たちが仮眠をとることができる場所だ。近くに水場もある。ここがちょうど首都とリンツの中間地点になっている。
 「良いタイミングで『道の駅』……って言いたいところだけど、ここで泊まっちゃったらリンツで王女たちに追いつけなくなっちゃうわよね。でも、疲れてたら休憩にする?」
 手綱を握っていたキリアは乗用陸鳥《ヴェクタ》の速度を落としながらリィルに話しかけた。しかし、返事は返ってこない。代わりに規則正しい寝息が聞こえてくる……。
 「…………」
 そろそろ運転交代の頃合なんだけどなー、と思いながら、キリアはため息をついてそのまま乗用陸鳥《ヴェクタ》を走らせた。

(2)

 バートとサラは日が沈んでだいぶ経ってからリンツに到着した。さすがに疲れていたし、お腹もすいていたので、すぐに泊まるための宿を探すことにした。リンツには大小さまざまな宿が何軒もあり、ここでは温泉も湧くので温泉付きの宿もある。町の入口の案内所で「リンツ温泉宿マップ」をざっと眺めたサラが、「ここが良いわ」と主張した温泉宿があった。町の入口に乗用陸鳥《ヴェクタ》を停め、バートとサラは歩いてそこへ向かった。
 『隠れ家』という名のその温泉宿は、人通りの少ない町の外れにぽつんと建っていた。木造二階建てで、中に入ると懐かしいような木の香りがした。「おやおや、良く来たねえ」と、奥からのんびり喋る老婆が出てきてにこにこと宿帳を二人の目の前に広げた。
 「ね、思ったとおりだわ」サラはバートに微笑んだ。
 「良いところでしょう」
 「そうだな」
 素直にバートはうなずいた。建物は古いが、とても感じの良い温泉宿だった。
 バートとサラは宿帳に偽名を記帳すると、老婆に二人部屋に案内してもらい、夕食が必要か聞かれた。老婆が夕食を用意している間に、それぞれ温泉に浸かり旅の疲れを癒した。なめらかで良いお湯だった。

 *

 翌朝。鳥の鳴き声に起こされてバートが目覚めると向かいのベッドは空《から》だった。慌てて飛び起きると、机の上の書き置きが目に入った。サラからの伝言で、ここの温泉気に入ったから朝風呂入ってくるわね、といった内容だった。バートはほっと息をついた。
 (これでもしサラに何かあったら、何のための護衛だってんだ)
 でも、確かに良い湯だったよな、とバートは昨日浸かった温泉を思い出す。源泉かけ流しの温泉で、湯は常に浴槽から大量にあふれ出ていた。色は茶色で、少々ぬめっていて……そして、翌朝には昨日の旅の疲れがすっかりとれていた。
 コンコン、と扉を叩く音がした。サラが戻ってきたと思って返事をすると、
 「大当たりー」
 「良かった……! 計算どおりね」
 と言いながら、バートの知り合い二人がずかずかと部屋の中に入ってきた。
 「げっ、リィル!」バートは叫んだ。
 「それと、お前確か……」
 「キリアよ。覚えててくれたのね」
 キリアはバートを見て言った。
 「な、何なんだよお前ら……。何で来たんだよ」
 「なんでって……」
 リィルは部屋の中を眺め回しながらバートに尋ねた。
 「ところで、サラは? 相部屋だよね?」
 「サラなら朝風呂行ってるけど……、つーか、なんで俺たちがここに泊まってることがバレたんだ!」
 「いやー、だってさあ」リィルは意味ありげに微笑んだ。
 「付き合い長いからさ、バートとサラがどの温泉宿を選ぶかってのは、わかっちゃうわけ」
 「大当たりだったわね。さっすがリィル」
 と言いながら、キリアはサラが寝ていたベッドに寝転んでいた。
 「それにあの宿帳。『ユーリア』と『カシス』って」
 「だってサラが俺の母親の名前書くから……!」
 『カシス』というのはサラの父、すなわちピアン国王の名前だった。
 「キリア、疲れた?」
 ベッドに寝転んで目を閉じてしまったキリアにリィルが声をかけた。
 「当たり前でしょ!」キリアは目を閉じたまま叫んだ。
 「夜中運転させられてたの、誰だと思ってるの!」
 「あはは……ごめん」
 「おめーらもしかして、完徹で俺たちのこと追いかけてきたのか?」
 バートは呆れた。
 「だって、夜中走らなきゃ追いつけない計算で……」
 「完徹したのは私だけよ!」キリアが不機嫌に叫んだ。
 「だからごめんって。でも、追いつけて良かった」
 「ご苦労だったなー。でも、なんでそこまでして追いかけてきたんだよ」
 とバートが言ったとき、廊下から少女の楽しそうな鼻歌と軽やかな足音が聞こえてきた。バートとリィルははっとして顔を見合わせた。
 そして扉が開けられる。
 「たっだいまバー……」
 そこまで言ってバートたちの前に姿を現したサラはその場に固まった。バートと、リィルと、反射的に起き上がっていたキリアを見て。手にしていた手提げ袋が音を立てて床に落ちる。
 「サラ王女っ!」キリアは叫ぶ。
 「貴女はっ……キグリスの!」サラも叫ぶ。
 サラの反応を見てバートははっとした。
 「まさかお前……! お前がサラの命を狙う暗殺者だったとは……!」
 「違うわよっ!」

 *

 「……つまり、」
 ひと通りキリアとサラの話を聞いたバートの表情は険《けわ》しかった。
 「……狙われてるってのは。急いで首都を出るための、嘘だったんだな、サラ」
 「ごめんなさいっ」
 サラはすぐに言った。バートは右手を振り上げたが振り下ろそうとしたその手をリィルにつかまれた。
 「何もぶつことないだろっ」
 「けどっ、こいつ……!」
 バートはサラをにらんだ。
 「心配かけさせやがって……みんなにも迷惑かけて……!」
 「ごめんなさい」
 「お願い、王女を責めないで」
 と言ったのはキリアだった。
 「私、気持ちはわかるから……」
 「キリア……」
 サラは意外そうにキリアを見た。
 「私だったら絶対嫌だもん。政治の道具にされて、見ず知らずの隣国の王子と結婚して一生過ごさなきゃならないなんて」
 キリアは主張した。それを聞いて、サラは目を輝かせてがしっとキリアの両手を握り締めた。
 「ふーん、そういうもんなのか?」
 「「そうよっ!」」
 バートの何気ない疑問の声に、女性二人が声を揃えた。
 「でも、まあ、良かったじゃん」とリィルが言う。
 「サラの命が狙われてなくて。実際会って確かめてみるまで、俺たちもそれが気がかりだったからさ」
 「そうだな」バートはうなずいた。
 「そうとわかれば、さっさと首都に帰るぞ、サラ」
 「嫌」サラは即答した。
 「おい」
 「だって帰ったら……あたし、キグリスの王子と結婚させられちゃうじゃない」
 「そんなに嫌ならことわりゃいーじゃん」
 「……ことわれないでしょ」
 とサラは言った。
 「だから……王宮、抜け出してきたんじゃない……」
 「…………」
 サラの表情は真剣だった。バートは言葉に詰まった。
 「……お願い、バート」
 サラはバートを見つめて言った。
 「もう少し……、もう少し、旅しましょうよ。ね、せっかくここまで来たんだから。首都には……いつでも帰れるんだから」
 「サラ……」
 「バートだって会いたいでしょ? 大精霊”炎《ホノオ》”」
 「それは俺は別に」
 「あ、私は会いたいな」
 キリアが身を乗り出してきた。
 「ピアンに来るときは直行しちゃって、寄り道できなかったのよね。やっぱり今のこのご時世、大精霊の一人や二人、会っておかないとね」
 「ありがとう!」サラは顔を輝かせた。
 「じゃあ、決まりね」
 「おい、何が決まったんだ」
 「バート」リィルがバートを突っついた。
 「良いじゃん、かたいこと言わずにさ。とりあえず四人で、その大精霊”炎《ホノオ》”っての、見に行こうよ」
 「お前も乗り気なのかよっ」
 バートはため息をついた。三対一、勝負は決まってしまった。サラは喜び、キリアも何だかうきうきしている。……サラはともかく、キリアの浮かれようは、なんだか不思議だった。

(3)

 夜中乗用陸鳥《ヴェクタ》を運転していたキリアはぐったりと疲れ果てていたので、四人で『隠れ家』にもう一泊してから出発することにした。キリアはバートが使っていたベッドに潜り込むとバートを部屋から追い出した。リィルが隣の二人部屋を男部屋として確保してきてくれたので、バートは荷物を持ってそちらに移った。

 *

 夕方、キリアが目覚めるとサラが向かいのベッドに寝転んで分厚い本を広げて熱心に読んでいた。キリアは上半身を起こすと大きく伸びをした。
 「あ、キリア。起きたのね」
 気付いてサラが声をかけてきた。
 「おはよう。……あいつらは?」キリアは尋ねる。
 「暇だから町ぶらついてくるって言ってたわ」
 「貴女は行かなかったの?」
 「あたしは一応お忍びだからあまり出歩かないほうが良いって、リィルちゃんが」
 「そっか。姫様は姫様だもんね……」
 サラと会話しながら、キリアは別のことでほっとしていた。バートもリィルもピアンの王女も、ちゃんと自分が目覚めるまで待っていてくれたのだ。キリアは実は、眠りにつく直前、「目が覚めたら誰もいなかったりして」ということをうっすらと思っていた。バートとリィルとサラは幼なじみで仲の良い感じだったが、キリアだけは国籍も違う余所《よそ》者だった。彼らにとっては、自分は先日初めて出会ったばかりの得体の知れない者で。そんな自分を、彼らは受け入れ『旅』に同行させてくれるのだろうか。そういった漠然とした不安があった。しかし、王女が見つかり気のゆるんだキリアに眠気は容赦なく襲いかかってきた。
 (置いていかれるなら置いていかれるで……良いわよ、別に。ひとりは慣れてるし)
 キリアはそんなことを思いながら、眠りについたのだった。
 「サラ、で良いわよ。呼び捨てで」
 突然サラが言ってきた。
 「え」
 「バートもリィルちゃんもそう呼んでるもの」
 「……そう。それは、ありがと……」
 キリアはとりあえず礼を言った。そういえば自分はいつの間にか年下の王女に呼び捨てにされてるなと思ったが、嫌な気持ちはしなかった。

 *

 『隠れ家』で四人で夕飯を食べ、温泉に浸かり、ぐっすりと眠り、次の日の朝、四人はリンツを発ち北を目指すことにした。二人乗りの乗用陸鳥《ヴェクタ》二匹にバートとリィル、キリアとサラに分かれて乗った。
 リンツの町の出口、ヴェクタ乗場に向かう途中、キリアはある建物の前ではっとして足を止めてしまった。聞き覚えのある名称の看板の、古びた小さな建物だった。
 「どうしたの、キリア?」
 先を行くサラが振り返ってキリアに尋ねてきた。
 「ううん、何でもない」
 と言って、キリアは何事もなかったかのように歩き出した。
 (そっか……。アイツ、出身はピアンのリンツだったんだっけ)
 昔のほろ苦い思い出を思い出しかけて、キリアは首を振って思い出を振り払った。
 リンツを朝に出て、順調に街道を進めば夕方にはピラキア山脈の麓《ふもと》に辿り着く。麓には「道の駅」の小屋があるのでそこで一泊し、明日は早起きしていよいよピラキア山に上ることになる。大精霊”炎《ホノオ》”の扉は、ピラキア山の山頂付近、キグリスへ向かう山道から多少外れたところにある、らしい。
 明るい草原の街道を乗用陸鳥《ヴェクタ》を走らせながら、四人で話をした。というより、サラが一方的に自分やバートやリィルのことをキリアに話して聞かせ、バートとリィルは時々相槌を打っていた。
 「バートのお父さまは強いのよ」
 と、サラは自分のことのように得意げに語った。
 「そして、息子のバートだって、お父さまの強さを受け継いで剣の腕は超一流なんだから」
 「ちょっと……いや、かなり変わり者だったけどな、うちの父親」
 とバートは言う。
 「クラヴィス将軍の噂は色々聞いてるわよ」とキリア。
 「そういえば、王宮でも『SHINING OASIS』でも会えなかったけど……」
 「…………」
 バートとリィルは顔を見合わせた。クラヴィス将軍失踪の件は、キグリスには伝わっていないはずだった。バートはサラに無言で『余計なことは喋るなよ』という合図を送った。

 *

 父親の話題が出たので、バートは父親のことを思い出していた。
 バートの父親は変わり者だった。口数が少なく、自分のことはあまり語らなかった。父親の素性、出身地すら不明だった。母親ユーリアと結婚してピアンに落ち着くまでは、パファック大陸の各地を流れていた、と聞いた。
 そんな色々怪しい父親だったが、何故かピアン王宮内での人気は高かった。炎の精霊剣技の腕はピアン随一と言われ、ピアン国王も絶大な信頼を寄せていた。口数の少ないところも周囲には「神秘的」などと思われていたらしい。バートの父親は何者も無条件で虜にしてしまうような、不思議な魅力を備えていた。
 そんな父親が、ある日突然、ピアン王国から姿を消してしまったわけだが、ピアン王女であるサラにも、親友であるリィルにも話していなかったことがあった。
 ある晩、バートが自室で寝ていると、階下から怒鳴りあうような声が聞こえてきた。バートはそっとベッドを抜け出し、階段を下りた。怒鳴りあいの声は父母の寝室の中から聞こえてきた。怒鳴っているのは母親ユーリアの声だった。父親も何か言い返しているようだった。普段は口数の少ない父親だったが、その日は珍しく良く喋っていた。
 (こんな真夜中に夫婦喧嘩かよ……。起きちまったじゃねーかっ)
 喧嘩の内容についてはバートは興味なかった。バートは階段を上り、自室に戻った。あの二人が本気で喧嘩するなんて珍しいなと思いながら眠りについた。
 バートの父親が「消えた」のはその翌日のことだった。
 母親は心当たりについては「知らない」と繰り返すだけだった。喧嘩の原因については、未だ母親から聞き出せずにいる。バートとしてもあの夫婦喧嘩は聞かなかったことにしておきたい。

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