翼 持 つ も の

(3)

 バートとサラはそれぞれの乗用陸鳥ヴェクタで森の中を進んでいた。この森を抜ければサウスポートはすぐそこだ。日が落ちるまでにはまだ少し時間がありそうで、暗くなる前にサウスポートに辿り着けそうだった。
 森に入る前の街道や森の中で、バートとサラは何組かの集団とすれ違った。サウスポートを脱出してきた人たちで、ピアン首都に向かうところだと言っていた。バートは彼らにリィルの一家の行方について尋ねた。そして、父親――元ピアンの将軍、クラヴィスを見なかったかということも。
 父親については何の手がかりも聞き出せなかったが、森の中で出会ったある女性はこんなことを言った。
 「あなた達の友達かどうかはわからないけれど……、茶色の髪であなた達くらいの年齢の男の子なら、見たわ」
 「どこでだ? そいつは今、どこにいるかわかるか?」
 バートは尋ねる。
 「その子も私たちと一緒に首都に向かうところだったの」
 女性はそこまで言うと、うつむいた。
 「それで、この森に入ったところで、敵に見つかって……。そしたらその子がね、私たちに先に逃げろって行って、ひとりで――」
 バートとサラは顔を見合わせた。
 「ごめんなさいね……」女性は声を落とす。
 「いや、教えてくれてありがとう。そいつが俺が探してるやつかどうかはわかんねーけど」
 「あと、その子、こんなことも言ってたわ。『やつらの狙いは俺だから』って」
 「……?」
 バートとサラは再び顔を見合わせた。
 女性に礼を言って、バートとサラは再び乗用陸鳥ヴェクタを走らせた。
 「心配ね……リィルちゃん」
 サラがバートに話しかけてきた。
 「もしその子がリィルちゃんだったとしたら――でも、敵に狙われているって、どういうことなのかしら」
 「さあ。何かやらかしたんじゃねーの、あいつ」
 「…………」
 「俺はあんま心配はしてねーんだけどな、実は」
 バートは言ってやった。サラがあまりにも心配そうな顔をしていたからだ。
 「あいつがそう簡単にくたばるとは思えねーし」
 サラはリィルのことを何故かちゃん付けで呼ぶ。バートとサラが幼なじみで、バートとリィルが親友同士だったので、バートとリィルとサラの三人で良く遊んだものだった。バートは最初、サラが大真面目に「リィルちゃん」と呼ぶのを聞くたびに吹き出していたものだったが、今ではもうすっかり慣れてしまった。リィルも普通にそれを受け入れているように見えたので、別に良いかと思っている。

 *

 「痛いっ! 離してよ! 何てことするのよっ!」
 エルザは叫んでいた。身体の後ろに回された両手首に縄が食い込んでひどく痛かった。
 幸い、『敵』はそれ以上エルザに危害を加えるつもりは無いようだった。エルザは騒ぐのを止め、『敵』を睨み付け、ふうと息をついた。
 「……あの子追ったって無駄よ」
 エルザは言ってやった。
 「何も持ってないし、何も知らないもの」
 「貴女の、弟ですか?」
 『敵』はやけに丁寧な口調で、エルザの理解できる言葉で話しかけてきた。『敵』は、背中に赤い翼を生やしている以外は『人間』に見えた。人間が着るような軍服を着込み、腰に剣を挿している。彼は赤い髪を背中まで真っ直ぐに伸ばし、エルザの父と同じように眼鏡をかけていた。視力が弱いのだろうか。
 エルザを捕らえている『敵』は、ピアン王国で言うなら将軍、というよりは参謀に見えた。武術はあまり得意ではなさそうだった。
 「そうよ。私の弟よ。私に似て可愛いでしょう。ちょっと生意気だけど」
 「追いなさい」
 男は傍らに控えていた数人の『部下』たちにそう命じた。彼らは一斉に走り出した。
 「……まっ、良いけどね。無駄なことを」
 「さあ、どうだか」男は苦笑した。
 「だって、長女でしっかり者の私ならともかくよ。お気楽のん気な末弟に大切なもの預けるように見える? うちの父さん」
 くくっ、と男は笑い声をもらした。
 「良く喋りますね。この状況で」
 「……良いじゃない別に」
 「面白い娘だ」
 男はエルザを見つめて眼鏡の奥で目を細めた。
 「私の名はアビエス」
 と、男は名乗ってから、
 「どうです? 私たちの仲間になりませんか?」
 「…………」
 エルザは少なからず驚いてアビエスを見返した。
 「……それって。貴方たちに手を貸せってこと?」
 「ええ」
 「嫌だって言ったら?」
 「貴女は死ぬことになります。今、この場で」
 アビエスは表情ひとつ変えずにそう言った。
 殺せるものなら殺してみれば?と言い返そうとしてエルザは言葉を止めた。そう言ってしまうのは簡単だ。でも――。
 「…………」
 エルザは数秒間考えて答えを出した。そしてアビエスに告げた。

 *

 森の中でリィルは木に片腕をついて呼吸を整えていた。激しい動悸が全身を駆け巡っている。呼吸は浅く早く、無意味に繰り返される。額や背中に冷たい汗をかいている。
 (姉貴――)
 街中で姉エルザは敵に捕らわれてしまった。リィルを逃がすために。リィルは逃げた。サウスポートを出て森を駆けた。追ってきた数人の敵兵は、『水の精霊』を召喚して倒した。
 (姉貴……ごめん)
 逃げなさい!という姉の声が耳に残っている。……助けられなかった。
 「くそ……っ」
 「部下たちは全員倒しましたか」
 男の声にリィルははっと顔を上げた。赤い長い髪の男がゆっくりと歩み寄ってくるところだった。背中には赤い翼。――エルザを捕らえた男だ。後方には、さらに四名の敵兵を従えている。
 「しかし、精霊の力の使いすぎで、だいぶ疲労しているようですね。もう余力は無いでしょう」
 「……姉貴は……」
 リィルの問いに男は答えず、眼鏡の奥でにやりと笑った。歩みは止めない。リィルは身構える。
 「リィルちゃんっ!」
 少女の悲鳴に似た声が後方から聞こえた。
 「……?!」
 リィルは思わず振り返った。二匹の乗用陸鳥ヴェクタが見えた。黒髪の少年と、金髪の少女が乗っている。二人は同時に乗用陸鳥ヴェクタから飛び降りてこちらに駆けてきた。
 「バート……。サラ……」
 リィルは二人の名を呟いた。

 *

 (こいつらが……異形の……)
 バートはリィルに近付いていた男をじっと見つめた。赤い髪。そして、背中には確かに、赤い翼。赤い翼以外は人間と言っても通用する風貌だった。
 「大丈夫っリィルちゃん。怪我なんかしてない?」
 サラがリィルに尋ねる。サラは大地の精霊を扱える。彼女の精霊は主に傷を癒すことに使役される。精霊には攻撃型、治癒型とタイプがあるとされていて、リィルの精霊タイプは典型的な攻撃型、サラの精霊タイプは治癒型だった。両方扱える者もいると聞く。
 「ありがとうサラ。とりあえず怪我はしてないから大丈夫」
 とリィルは言ったが、話すだけでも辛そうな感じだった。
 「積もる話はあるけど、お前は少し下がって休んでろ」
 バートはリィルに言って、リィルと男の間に割って入った。男は興味深そうにバートを見つめた。
 「貴方は?」
 「こいつの友人」バートは言う。
 「そういうてめーは誰だ?」
 「私はアビエス。ガルディアの将です」
 「ガルディア……?」
 「貴方たちがサウスポートを襲ったの?」
 サラがバートの隣に並んで立って尋ねた。
 「はい」
 「……そうか」
 バートは呟いて、剣を抜いた。アビエスは微笑んだ。
 アビエスの後ろに控えていた敵兵たちが奇声を発しながら襲いかかってきた。抜き身の剣を手にしている。赤い翼に、赤く短い頭髪。土色の肌。吊り上がった両眼。いびつな鼻。尖った耳。口から覗く牙。こいつらの容姿はあまり『人間』には見えない。
 バートは斬りかかってくる剣をかわし、自らの剣を繰り出した。斬りつけられた敵が叫び声を上げて地面に倒れた。
 「バートっ、危ない!」
 別の角度から襲いかかってきた異形の敵に、サラが拳を振るった。四体の異形の敵が地面に倒れ動かなくなるまで、そう時間はかからなかった。
 「ほう。貴方たちも強いですね。子供三人とはいえ、侮れない」
 アビエスは感心したように目を細めた。
 「俺は……」
 バートはアビエスを見据えた。
 「あんたに聞きたいことがある。俺の父親――クラヴィスのことだ」
 「……クラヴィス、」
 アビエスはその名を繰り返した。アビエスの表情はバートを見つめたまま、何も語らない。
 「知ってるのか?」
 「さあ」
 「てめえっ! 真面目に答えやがれっ!」
 バートは叫んで、アビエスに斬りかかった。アビエスはふわりと宙に舞い上がる。
 「今は退きましょう。……また、会うことになるかもしれませんが。そう遠くないうちに」
 「待て! フザケるな!」
 バートは見上げて叫んだ。アビエスは構わず、翼で飛んでサウスポートの方角へと去っていこうとする。バートはアビエスを追って駆け出そうとした。
 「バートっ!」
 リィルの叫び声が聞こえて、バートは足を止めて振り返った。
 「追ったって……無駄だ……。もう、サウスポートは……完全に……やつらの、」
 リィルは言って、言葉を詰まらせる。
 「リィル……」
 バートはリィルに歩み寄った。
 「話すよ、色々なこと。……できれば座って話したいけど」
 リィルは言った。

(4)

 夜の闇の中を二匹の乗用陸鳥ヴェクタが駆けていた。それぞれのヴェクタの前方に取り付けてある灯りが辛うじて狭い周囲を照らしている。雲が空を覆っているのだろうか。天は随分と暗い。
 バートとサラとリィルはお互いの事情を語り合い、「とりあえず、ピアン首都に帰ろう」という結論に至った。あのままサウスポート周辺に留まっていたとしても、バートたち三人にできることは何もない。それに、もし王女に何かあったら……、というのが理由だった。サラはバートとリィルがピアン首都に帰るのなら自分も帰ることに異論はないと言い、リィルもサラのことを気にしてかすぐにでも帰るべきだと言った。バートは……、迷っていた。
 バートが方位針コンパスを見ながら乗用陸鳥ヴェクタの手綱を握り、リィルはバートと同じヴェクタに乗ってバートの後ろですやすやと寝息を立てていた。こいつの特技はいつでもどこでも寝られること。昼過ぎまで寝ていられること。とバートは思う。
 「サラ。疲れてないか?」
 バートは隣を走るヴェクタに声をかけた。
 「大丈夫よ。休みなしで行けると思うわ」
 サラの答えが返ってくる。
 「疲れたら言えよ」
 「ええ」
 順調にヴェクタを走らせれば、首都に着くのは夜半過ぎくらいになるだろうか。バートはなるべくなら野宿はせずに首都についてから自分のベッドで眠りたかった。しかし……、自分のベッドに入ったところで、こんな気持ちを抱えたまま、眠りにつくことができるのだろうか。

 *

 少し前まで、バートとリィルとサラは二匹の乗用陸鳥ヴェクタをゆっくりと進めながら語り合っていた。
 「エルザねーちゃんが捕まった?!」
 バートは思わず声を上げていた。リィルの姉エルザは、何せバートとリィルの二人がかりでも敵わない相手なのだ。色々な意味で。
 リィルはうなずき、黙り込んだ。サラが遠慮がちに尋ねる。
 「それで、リィルちゃんのお父さまたちは……」
 「……わからない。行方知れずってこと。姉貴と同じように敵に捕まったのかもしれないし、上手く逃げ延びているのかもしれない」
 「そ……っか」
 バートはリィルの父も母も兄も姉も良く知っていた。彼らの安否が全くわからないということは、リィルとは無事に再会できたものの、素直に喜べない。
 「とりあえず、さ。首都に行ったら……」
 「俺ん家に来いよ」
 すぐにバートは言った。リィルはありがとう、と礼を言う。
 「首都で、しばらく待ってみることにする。父さんも母さんも兄貴も、俺と同じこと考えると思うから」
 「そうね。それが良いわ」
 とサラも言う。
 「大丈夫だって。お前の父ちゃんも母ちゃんも兄ちゃんも、絶対無事だって!」
 バートは力強く言った。バートに背中を叩かれてリィルはようやく少し笑って、うなずいた。
 「でも、どうしてリィルちゃんの一家が敵に狙われたのかしら?」とサラ。
 「んーー」
 リィルは上を見上げて考え込んだ。
 「実は、俺も良くわかってないんだ。俺末っ子だから、肝心なことは何ひとつ教えてもらってなくて」
 「そうなのか……」
 「うちに代々伝わる家宝かなんかあって、」とリィルは言う。
 「それが敵さんに奪われると、すっごいやばいらしいんだ。『大陸全土の存亡に関わる』とか父さんが言ってた。それで本物の家宝と、ダミーの家宝を父さんと母さんと兄貴と姉貴が持って、みんなでバラバラに逃げたってわけ」
 「ふうん。なんか大変なんだな……。お前の一家」
 「リィルちゃんは持ってないの? その家宝」
 「俺は何も持ってない。俺の存在自体がダミーってことなんじゃないかな。……あっ、バートとサラだから話したけど、このこと誰にも内緒で」
 「了解」
 「ところで、どうしてバートはサウスポートへ?」
 とリィルが尋ねてきた。
 「そりゃもちろん、お前の一家のことが心配になって、」
 「それだけ?」とリィル。
 「さっき、バート、父親さんの名前を出してたけど……」
 「…………」
 バートはため息をついた。サラにも知られていることだ。そのうち、ピアン王も知ることになるかもしれない。バートはリィルにも話すことにした。
 「お前は見なかったか? 俺の父親」
 バートは尋ねてみた。リィルは黙って首を振った。
 「そうか」
 「…………」
 そこで、会話は途切れた。三人はしばらくの間、無言で静かな闇の中を乗用陸鳥ヴェクタに揺られて進んでいた。
 バートは迷っていた。このまま首都に帰ってしまって良いのだろうか。さっきのアビエスとかいう赤い翼持つ者。あいつを追いかけて、父親のことを問い詰めたかった。でも、リィルは「無駄だ」と言った。サウスポートは、異形の者たちに完全に占拠されてしまったと。
 (父親――。俺は……)
 バートは唇を噛んで乗用陸鳥ヴェクタの手綱を強く握り締めた。

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