翼 持 つ も の

(1)

 バートは乗用陸鳥ヴェクタに乗って草原を駆けていた。目の前には若葉色の草原がどこまでも広がっていて、心地良い風が頬に当たる。しかし、乗用陸鳥ヴェクタに乗るバートの顔はこわばっていた。
 目的地はまだ見えない。
 「……ト。バ……トおっ」
 風の音に混じって少女の高い声が耳に届いた。バートは驚いて振り返った。もう一匹の乗用陸鳥ヴェクタが、バートの少し後ろを走っていた。乗っている少女の金髪の髪が揺れている。そこから少女は、声を限りにバートの名を叫んでいた。
 バートは自分の乗用陸鳥ヴェクタの速度をゆるめた。少女の乗ったヴェクタがすぐそばまで追いついてきた。
 「……何しに来たんだよ」
 バートは不機嫌に少女に声をかけた。
 「あたしも一緒に行こうと思って。サウスポート」
 少女はバートをまっすぐに見つめて言った。サウスポートはピアン王国最南の港町で、今まさにバートが向かおうとしている町である。
 「お前が?!」バートは驚いて大声を上げた。
 「お前、自分の立場とこれから行くところの状態、わかってるのか? ……ってか、いくらなんでもまずいだろ、お前が動いちゃあ」
 「どうしてあたしが動くとまずいのよ」
 少女が言い返してきた。
 「王女って何のためにいるの? こういうときのためでしょ。こういうときに動かないで、何が王女よ」
 そう言われてしまうと、バートは何も言い返せない。彼女の言葉は筋が通っているようで、どこかしら強引なような。
 「それに、お父様の了解はいただいたわ」
 と少女は言う。バートはそれはあやしいなと思ったが、バートはどうしてもサウスポートに行かなくてはならない。するとこの少女も当然、ついてくるだろう。ということは、二人でサウスポートに向かうしかない。
 「仕方ないな……」
 バートは観念してため息をついた。
 「ていうか、良く追いついてこれたよな。お前のヴェクタってそんなに速度出るのか?」
 「ええ。ピアン王国最速のヴェクタを拝借してきたの」
 「良いな。俺もそっち乗って良いか?」
 「良いけど、二人乗りになると速度落ちるわよ?」
 「ああそっか。じゃあ、このまま行くか」
 「……良かった。最初すごい顔してたけど……意外と元気そうだから」
 少女はぽつりとつぶやいた。この少女は自分を心配して、王国最速のヴェクタで追いかけてきてくれたのか――と、バートは思った。

 *

 バートを追いかけてきた少女の名はサラという。年齢は十六歳。とても可愛らしい顔立ちをしているが、こう見えて本格的な体術を叩き込まれており、そこいらのピアン一般兵より強かったりする。今は金髪の長い髪を後ろでくくっており、動きやすい武道着を身に着けていた。
 サラはピアン王の一人娘で、ピアン王女ということになる。バートは父親がピアン王に仕える将軍だったため、幼い頃から王宮に出入りしており、サラとは幼なじみの仲だった。
 しかし、ピアンの将軍であった父は、数年前のある日突然、姿を消した。誰にも、バートにも妻にも行き先を告げずに。
 バートはサラの隣で乗用陸鳥ヴェクタを走らせながら、少しだけ迷っていた。バートはひとりで危険地帯――サウスポートに向かうつもりだった。しかし、ピアン王女であるサラが自分を追いかけてきてしまった。バートとサラは幼なじみでタメ語で話せる仲だが、それでもサラはピアンの王女なのだ。このまま二人で危険地帯に向かって良いのだろうか。
 しかし、サラの武道着姿は、これから向かう先が危険地帯であることを十分に承知している姿だった。例え得体の知れない敵が現われたとしても、バートと一緒に戦って倒して進んでいく、そういうつもりなのだろう。だからバートは、サラに何も言えなかった。
 「……なあ。サラ」
 バートはひとつ気になっていたことをサラに聞いてみることにした。
 「なあに? バート」
 「……聞いたのか? あの兵士に」
 サラはしばらく口を閉ざした後、「ごめんなさい」とつぶやいた。
 「なんで謝るんだよ」
 バートとサラはしばらくの間、それ以上は言葉を交わさずヴェクタを進めた。
 バートは自分が身につけている剣を確認した。バートの持つ剣はバートくらいの歳の少年が扱うには少々大きすぎる剣だった。しかし、バートは片手で軽々と振り回すことができる。剣は年代ものといった感じで良く手入れされ使い込まれていた。バートはこの剣を五年前の自分の誕生日に父クラヴィスから譲り受けた。十二歳のときだった。
 バートは夏生まれの火属性で、火の精霊を自由に扱える――はずだった。しかしバートは昔からこの「精霊の扱い」が苦手だった。戦う力としては、父親譲りの剣技の腕前を持っていたので、特に精霊を扱うための修業は積んでこなかったのだ。
 「でも、バート。せっかくだから、『精霊』も使えたほうが、良い」
 バートの父、クラヴィスはそう言った。そして『精霊剣』について教えてくれた。精霊を剣に宿らせる。すると、意識せずとも剣を振るえば精霊の力が発動するのだ。
 バートはこの新しい力に夢中になった。毎日剣術と精霊剣の修業を欠かさなかった。父親も良く修業に付き合ってくれた。近所の友人と決闘の真似事なんかも良くした。
 一年後。父クラヴィスは突然家を出たきり帰ってこなかった。ピアン王国随一の将軍であった父が。ピアン王宮は大騒ぎになった。捜索隊も結成されたりしたが、クラヴィスは二度と、ピアン王宮に、バートと母の待つ家には帰ってこなかった。

 *

 そして今日の昼過ぎのことだった。突然、サウスポートの兵士がピアン王宮に駆け込んできた。兵士の話によると、今朝、サウスポートの町が正体不明の敵の襲撃を受けたのだという。サウスポートはピアン王国最南の町である。ピアンが接している他国はピアンの北に位置する山脈を挟んだキグリス王国だけだ。南の海にしか面していないサウスポートが「襲われる」なんて普通に考えてまずありえない話だった。
 「正体不明……ってどういうことだ?」
 バートはその兵士に尋ねてみた。
 「バート様。やつら……、もしかしたら、いえきっと、『人間』ではないと思われます」
 「何……だって」
 「やつらは背中に赤い翼を生やしていて、自在に空を駆け巡ります。そして、どこからともなく突如出現し、大軍で港町を襲ったのです」
 「赤い翼……」
 「皆、彼らを『異世界から来た異形の者』と呼んでいます」
 「…………」
 突然そんな話を聞かされて、バートは言葉を失った。人間ではない者。赤い翼を持つ異形の者。そんなやつらが、どこからともなく突如出現し、大軍で港町を襲った?
 「……ひとつ聞いて良いか」
 バートは混乱した頭を抱えながら、兵士に尋ねた。
 「はい」
 「『異形の者』ってのは、わかった。でもなんで『異世界から来た』んだ? 異世界って……」
 「それは……、きっと」
 バートの傍らで一緒に話を聞いていたピアン王女サラが口を開いた。
 「二千年前の伝説に、なぞらえているのね?」
 「そのとおりです」兵士はうなずいた。

 *

 ここパファック大陸には、二千年前にもこの大陸で同じようなことが起きた、という言い伝えがあった。
 二千年前。「異世界」からやってきた、赤い翼を持つ異形の者たちが、パファック大陸を襲撃した。大陸の者たちは苦戦を強いられたが、「四大精霊」の力を借りて、何とか彼らを大陸から追い出すことに成功した。しかし、大陸の者たちが失ったものはあまりにも大きかった――。という、伝説。
 この伝説も、「四大精霊」についても、ちょっと前までは興味のある人は知っているくらいの単なる言い伝えに過ぎなかった。しかし、今のパファック大陸の状況は、二千年前の伝説と、あまりに酷似していた。

 *

 「バート様。……ちょっと」
 ひと通り話が終わったところで、兵士がバートを手招いた。バートはサラと顔を見合わせてから、うなずいて兵士に歩み寄った。
 「何だ? サラの前では言えないことか?」
 「……はい。本当のことなら王女にも王にも報告するべきことなのでしょうけれど……、私たちまだ、確信が持てなくて」
 「サラに関係することか? それともピアン王に?」
 「いえ。バート様に関係することです」
 「俺に?」
 兵士の口調、表情から、バートは何となくぴんときてしまった。
 「……父親に関することか?」
 「ご察しのとおりで」
 「まさか、父親が見つかったとか言うのか?」
 言いながら四年前の父親の顔を思い浮かべ、バートの声はわずかに震えてしまった。我ながら情けないと思う。
 「私は見ていません。ですが、『見た』という噂を、聞きました」
 「父親を……クラヴィスをか?」
 兵士はうなずいた。
 「どこで?」
 「サウスポートです。クラヴィス将軍は……」
 兵士は言い辛そうに、いったん言葉を切った。
 「背に赤い翼を持ち、サウスポートの上空を飛び、他の異形の者たちと共に、サウスポート襲撃に加わっていたと――」
 「な……」
 バートは呻いた。それは、いったいどういうことなのか――。答えが浮かばない。
 「それは、本当に父親なのか?」
 兵士は首を振った。
 「……わかりません。しかし……」
 「…………」
 バートは唇を噛みしめて右の拳を握りしめた。四年前の父親の顔を思い浮かべる。今でもはっきりと思い浮かべることができる。
 「……報告、ありがとう」
 バートは短く呟くと、足早に歩き始めた。
 「バート様、どちらへ?」
 慌てたような兵士の声が背中から聞こえてきたが、バートは歩みを止めなかった。心臓が大きく音を立てている。
 (行ってみるしか、ねーな)
 サウスポートに行って、自分の目で確かめてみるしかない。バートはそう決めて、まっすぐに乗用陸鳥ヴェクタ乗場に向かった。今首都を発てば、暗くなる前にはサウスポートに着けるだろう。
 それにサウスポートには知り合いが住んでいる。以前はピアン首都のバートの家の近所に住んでいたのだが、数年前、サウスポートに移り住んだ一家がいた。その一家とバートの一家は家族ぐるみでの付き合いがあった。サウスポートが襲撃されたというのなら、彼らの安否も気がかりだった。

(2)

 「来た……か」
 窓の外に目をやって、エニィルはつぶやいた。近所の者たちは皆逃げたと思う。エニィルと彼の妻、三人の子供たちは未だ、家の中から外の様子をうかがっていた。時折誰かの悲鳴が聞こえてくる。複数の足音も。ドン、という衝撃音も。
 「いい加減、この家が燃える前に、何とかしなくちゃなあ」
 エニィルは家の中を振り返った。彼の妻と三人の子供たちがじっとこちらを見つめていた。
 『彼』が来たのは、あまりにも突然だった。彼が来たことを、エニィルはすぐに感知した。ということは、彼にも自分の居場所、少なくともすぐ近く、ここサウスポートに自分がいることはわかっているはずなのだ。『彼』とエニィルは、初めて会ったときからそうだった。何故なのか、それが何を意味するのかは、少なくともエニィルにはわからないのだが。
 (まさか彼らは、禁断のあの技術を……)
 「お父さん!」
 娘の鋭い声にエニィルははっと我に返った。
 「そろそろ話してよ。私たちが、これから何をすれば良いのか。覚悟はできてるし、お父さんの言うことなら何だってするから」
 ね、とエニィルの長女は弟二人に目をやった。二人とも真剣な眼差しで大きくうなずく。
 「ありがとう」エニィルは言った。
 「かなり、無理言うことになるけど、」
 「全然オッケー」
 エニィルの娘は不適に微笑わらった。

 *

 リィルはエニィルの次男で、三人姉弟きょうだいの末っ子だった。年齢は十七歳で、バートと同い年。バートのことは小さい頃から良く知っていた。以前、ピアン首都に住んでいたとき、良く一緒に遊んだものだった。その後、リィルの家族はここサウスポートに移り住んだのだが、年に何度かは、首都のバートの家に遊びに行っているし、バートたちがこちらに遊びに来ることもあった。リィルの両親とバートの両親は、昔からの知り合いなのだそうだ。
 リィルは姉エルザと一緒にサウスポートの街道を駆けていた。父と母と兄は一緒にはいない。街道脇の民家のほとんどは敵に破壊され半壊し、煙を上げているものもあった。道端には血まみれの小動物が横たわっていたりしたが、リィルは目をそらしながら姉の背を追いかけて駆けていた。今は姉の他に人影は見えなかった。
 「調子はどお? 万全?」
 走りながら姉が声をかけてきた。姉は息ひとつ切らさないで駆けている。
 「うん、わりと」リィルは答える。
 「敵が現れたら頼りにしてっからね。任せたわよ」
 「でも姉貴のほうが強いじゃん」
 「あんたもそこそこでしょ」とエルザは言う。
 「ピアンの将軍の息子と互角に渡り合えるんだから」
 「……まーね」
 リィルは水の精霊を扱うことが出来る。その攻撃力は大人をも凌ぐほどだった。首都にいた頃、バートとは良く「決闘ごっこ」をやっていた。どちらかが適当に「果たし状」を書いて相手の家に投げ込み、空き地で手合わせをおこなう。バートとの決闘の勝敗の結果は五分五分。最初はリィルのほうが強かった。昔のバートはいわゆる「精霊音痴」で、リィルが水の精霊を自在に操ることができる一方、バートは炎の精霊を召喚できたとしても一瞬で、ましてや思い通りに操ることなんて全くできなかった。
 (それがいつの間にか「精霊剣」なんて器用なこと覚えちゃってさ)
 親友が強くなることは嬉しいのだが、自分が負けることはちょっと悔しい。自分は負けず嫌いなのかもしれない。
 空き地で決闘をしていると、時々見回りのピアン兵士たちに「何やってるんですかっ」と止めに入られた。「死んだらどうするんですかっ」と言われたこともあった。それほど凄まじい試合を繰り広げていたらしい……。そういえば決闘で大怪我して、もしくはバートに大怪我をさせて、姉エルザに本気で殴られたこともあった。

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